当然時代物もその範疇になる。
武士の時代があった。
鎌倉に幕府が置かれた時代からが武士の時代ということになるか。
武士とは何ぞや?
軍隊とは違うのか?
今の時代も軍隊があり刀ではないが武器を持つ。
日々武力の練達に励んでいる。
だがそれを武士とは言わない。
日本は、長く武家社会であった。
10世紀から19世紀に掛けて存在していた。
900年間ということになる。
宗家:主人を頂点に組織された家族共同体の構成員:もののふを武士と言う。
もののふは、大伴氏や物部氏らがその名の由来とも言われている。
大伴氏は、日本の古代氏。
大きな伴造から大伴。
伴造は、とものみやつこと呼ぶ。
伴は、ヤマト朝廷に奉仕するという意味。
造は、その奉仕する者達の長を現す。
豪族とも言われる。
札幌の今日は、
夕方から雨に
変わるだろうと
予報されている。
地域はその生活の安全や安定を維持するために武力が必要になる。
ヤマト王朝は、北九州から北関東までを治めたその時代の最大権力。
その武力を担っていたのが豪族たち。
物部氏もまた豪族。
当初は武器の管理開発を担っていた。
そこから武力を行使する側に移行していった。
彼らは、朝廷:王族の軍事組織として武力の蓄積をしてゆくことになる。
と同時に各地の豪族もまたその力を増大させてゆく。
源氏、平家、藤原等は、もともとは皇族であり皇族から臣下の籍に下りて姓を授かった。
彼らもまた軍事を担当する武人:軍人となる。
平安時代の中期辺りまでの軍人は、武官の立場にあった。
つまりは、朝廷に仕え武力部門を任じられていた。
要は、公務員と言う立場。
大きな武力勢力を持つ源頼朝が
東国:鎌倉に幕府を築き東国の治安をし北の勢力の防御に任あたる。
と同時に関東の租税も担うなど軍隊から為政者としての立場が承認される。
豪族は、朝廷の官ではなく独立した地位を得る。
このあたりから武士と呼ばれる。
12世紀鎌倉時代以降19世紀の江戸時代までが将軍を長とした武士の時代。
特に江戸時代に入ると徳川の勢力は、絶大なものとなる。
朝廷を転覆できたであろう武力は、あった。
天皇の存在が云々ということではない。
そこでどうして天皇を始めとした朝廷をそのままにしていたのだろう。
という大きな疑問がある。
このおやじ、アゴハリ一族。
世に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
斜めから見る習性は、周囲に疎まれる。趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター