ろうそく出せ、出せよ。
と子供たちが唄い練り歩くのかなぁ、とも。
北海道独自の風習らしい。
Wikiによれば函館がその始まりではないか、と。
安政2年:1855年の函館風俗書に
七夕に額灯籠を差し五色の短冊付の柳を手にして
笛、太鼓で練り歩く子供達のさまが描かれているという。
ろうそくを出さないば噛みつくだの、引っ掻くだのと脅して歩くのは尋常ではない。
が、遊びだと許される。
元は、神事の一つとあれば尚の事、少々の荒振りは、許される。
もう40年近いその昔の話。
女房が道東から札幌に出た。
その七夕の夜、ローソク出せ~、が聞こえてきたという。
女房の地域では、そのような習わしがなかったらしい。
画像:Pixabay
子供たちをがっかりさせてはいけない。
と咄嗟にろうそくを探す。
子供たちの訪問前にローソクが用意出来た。
彼女は、喜々として到来を待つ。
ピンポ~ンで件の歌が聞こえる。
はいどうぞ、で手渡したそうな。
渡された子供たちの顔は、複雑に変わる。
これで終わり?
と言いたげな表情。
翌年は、訪れなかったそうな。
一番の目当ては、おやつなのだということを知ったのは後の事。
ところで七夕祭りって何?
お隣、中国からの伝来。
漢の時代に織女星を祭ったことが始まり。
織物が上達しますように、の願掛け祭りのようだ。
これが、奈良時代に日本に伝わる。
もともとあった棚機津女:たなばたつめ、と合体した。
棚機津女は、お盆の前に川傍で
祖霊や客神きゃくじん を機織で迎え慰めた。
客神は、よそから訪れた人霊。
何故8月7日で七夕と書き方も変化した?
元々は、7月7日を棚機・棚幡:たなばたと書いていた。
そこが、しちせき:七夕と一緒になった、と言うことになる。
七夕は、五節句の一つ。
1.人日:じんじつ
2.上巳:じょうひ
3.端午
4、七夕:しちせき
5.重陽:しょうよう
これを見ると端午は、5月5日。
七夕は、7月7日。
となれば、隔月のぞろ目の日を指すのか。
常陽は9月9日。
但、正月1月は、7日。
古来中国では、1月1日を鶏の日。
2日を犬、3日猪・豚、4日羊、5日牛、6日馬と定めその日は、その家畜を殺生しない。
日頃の感謝も込めていたということか。
で、7日が人間の日で処刑が行われなかった。
五節句は、季節の変わり目を田畑の管理にも活かす考え方もある。
解りやすくぞろ目にしたんだべか。
いや、それぞれに理由があるらしい。
例えば5月5日は、端午。
端は、最初の意味で午は、馬。
5月の最初の馬の日。
五節句には、五穀豊穣を願い季節のお供えをした。
正月7日は、七草:七草節句。
3月3日は、陰暦で3月最初の巳の日。
巳は蛇、金運の良い日。
お雛様は、桃の節句とも言う。
そして桃を供物した。
5月5日は、菖蒲の節句。
7月7日は、素麺。
であれば素麺節句?
ここは、たなばた節句。
9月9日は、菊の節句。
桃の節句の元となる中国では、この日川の水で行を行った。
川辺で宴を催し杯を流し流れ着くまでに詩を詠む。
出来ないものは、その代わりに一杯の酒を飲む。
そうやって悪しき体内の霊を洗い流した。
日本に伝来して独自の風習 禊みそぎ や、形代:人形などの
身代わり信仰と合体して桃の節句に変化した。
七夕は、お盆7月15日の1週前の行事。
明治になり新暦導入でお盆が8月に移行したため七夕とお盆が切り離された。
さて、思い出してほしいのは五穀豊穣祈願が元であること。
北海道は、季節が遅い。
そこで8月7日に七夕とした地域と
7月7日の本州仕様そのままとで祝う日が違ってきた。
新暦になったとき地方の考え方で
どっちでもいいよ~、でそうなったというのが真相のようだ。
このおやじ、アゴハリ一族。
世界に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
物事を斜めから見る習性があり周囲に疎まれる。
趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター