2017年8月16日水曜日

楽し、それだけの話。

喪失の5段階
難解な心の動きを紐解いた定理だという。

自分の心は、自分の物。
誰のものでもない、自分だけの物。
故に自分が一番大切。


第一段階 否認
その大切な自分に起きた不幸な出来事が持ち上がったとき嘘と否定する。
そんなことが起きるはずがない。
と思う。
引き分けで終わった甲府戦で最初の言葉は、
エエ~ッ!
本当かよ。






向こうの明かり





第二段階 怒り
起きるはずがないと否定してみても現実を突きつけられる。
試合終了で1-1と表示されている。
甲府に勝てなかった。
コンサの選手がうな垂れている。

突き付けられた現実から逃れることは出来ない。

そこで大きな失意をしたり怒りが込み上げたり。

その現実を受け入れたくないという強い心理が働くこともある。
強い反動を程、厄介な事になる。

不幸な出来事を受け入れなければ,
失意の底をのたうちまわることになる。

もっと強い作用は、真実を消し去ってしまう。
人は、現実を受け入れて初めて次のドアを開くことが出来る。
そして自身の心も開かれる。


第三段階 取引
あの時四方田が伸二を出していれば。
あの時、荒野ではなくフレッシュな進藤だったら。
あの時、追加点が入っていたら。

取り返しのつかない事を仮定に置き換えて自分を慰める。


第四段階 抑うつ
どう気持ちを整理しようとしても現実が変わるわけではない。
やっぱり勝てなかったんだわな。
弱いんだわな。
勝てると期待してたんだけどなぁ~。
残留がむつかしいかもなぁ。

どんどん落ち込む。


第五段階 受容
でもなぁ、しょうがないべや。
勝負は、時の運。
勝てなかったのは残念だけど負けた訳でなし。
それもコンサだもんなぁ。
まだシーズンは、残っている。
悪いばかりではないし。


喪失の5段階は、
精神科医キュープラー・ロス1926~2004年が
発表した定理なのだそうな。

不幸な事柄に対して全部が1~5まで段階を踏む訳ではない。
が、たしかに5段階の感情は、心の中で行き来する。

ただ、ひとつだけ言えることがある。
認めること。
現実を自分の事として受け止めること。

弱い自分。
情けない自分。
怠慢な自分。
気持ちの悪いほどねじ曲がった自分。
胴長の自分。
短足の自分。
何が悪い! とうそぶいている自分。

自分が幸せであるということはどんな状態なのだろう。
創業当時洋々と船出をしたはずが
すぐに自分の船が木の葉程度の小さな、
弱い舟であったことを思い知る。

僅かな睡眠時間で休日を取ることも出来ずにいた毎日。
心の中は、暗く沈んだまま。

自分に言い聞かせていたのは、必ず出口はある。
僅かでも光が見えるときがある。

そして、おおきな状況の変化が訪れた。
ラジオの人気番組が、とあるコーナーで取り上げてくれた。
それを機会にNHKでもドキュメント番組を放映してくれたり。

最終的に2008年のリーマンショックで15年の営業の幕を閉じた。
ホテル関連からの受注がばったり止まった。
売り上げの4割がなくなった。

俺の仕事は、日本で最初に立ち上げた飲料水のデリバリー製造・販売会社。
今、何社かが参入して営業している料金ベースは、俺が作った。
1L:100円。
ただのドン・キホーテでなかったことだけは、俺の慰め。

後悔は、無い。
しても始まらないのでしない。
それよりも寝ずに、そして休みもせずによくやれたものだとも思う。
実は、毎日が楽しかった。
金に詰まってばかりの15年だった。
が、俺がやりたいと思い始め、そして続けた仕事。
失敗したけれど悔いはない。

俺の先見は、間違っていなかった。
只、俺の資質が足りなかった。

自分が足らないのだから致し方がない。

辛い、苦しいだけで15年を続ける事は出来ない。
楽しいは、俺のテーマ。
折角やるなら楽しくやろう。
楽しくなけりぁ、楽しくなれる方法を考えよう。

それだけの話。




このおやじ、アゴハリ一族。
世界に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
物事を斜めから見る習性があり周囲に疎まれる。
趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター

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