2018年1月15日月曜日

雄山の喝

陸橋の歩道はいりに差し掛かる。
右後方から大型の車の音。
目の端にバスの頭が見えた。
と同時に雪のゼリーが跳ね飛んで来る。
右側面には、油と汚れとで茶色に染まった飛沫が点々とり付いている。

あ”あ”~!!


昨日午前中の俺は、最高に機嫌がいい。
胸のご機嫌ランプが五つ点灯している。
そのランプにさらに二重の花飾りが付いていた。

昨日のブログ出来に満足と言う足をもう二本生えてもおかしくないくらいに。
女房も面白く読ませていただきました。
と評してくれた。
ほとほとへたくそがちょいとだけ自慢のできる程度まで出来たと自惚れる。


空には、太陽がある。
雲に遮られずに不変の陽光を惜しみなく注いでいる。
風はない。
さっき降った淡雪は、上等なシルクのベールの如きに地上を覆っている。
その下のまだ締まり切らない圧雪が俺の体重を柔らかに受け止めてくれる。







TV卓の陽だまり








スーパーへ買い出しに出かけていた。
冬の楽しみの一つに雪道の歩行がある。
すれ違う為に少し道を譲らなければならなくなる歩道。

そこでいくつ星を獲得できるのか。

俺は、ストックを両の手に持ち闊歩している。
すれ違いになお邪魔をする。
で道を譲る。

その時の勝ち負け。
譲られた相手が礼を述べるか否か。

ありがとう、どうも、すいません。
何でもいい。
否なんでもよくはない。
ありがとうございます、が最上級。

その等級は、さておき礼が返ってくると勝ち。
此方もいいえ~と鷹揚に明朗にお返しできる。

それは俺がどれほど黒い腹の持ち主であろうと善男に成れる瞬間。
だから勝ち。
往路では全勝の4勝をした。
67歳のニッコニッコ顔を向けられどうぞと道を開けられれば、
まぁ大抵の人間がリアクションするというものだ。

スーパーで買い出しを終えて帰路。
背中のリュックが重い。
瓶エビスが4本、生きしめん2人前。
一束150円の三つ葉。
夜の鍋用たらのアラ。
豆腐や、こんにゃくやもろもろが背中に収まっている。



帰路は登り。
路面に踵から着地してつま先まで順に荷重を支える。
ゆっくりと確実に歩を進める。

昔、油谷と呼ばれた小谷がある。
今そのままに存在していれば自転車乗りが涎を流すはずのジェットコースターの道。
そこに10数年前橋が架かった。

スーパー側が橋の登りの入口。
雪の溶けた水がそこで小さな溜まりになる。
助っ人にバスの後ろ盾を得てその溜まりの中のゼリーに襲い掛かられた。

おもわず濁点の付いた悲鳴が出ていた。
中央バス。
ナンバーも読める。
くそったれ、通報しようか。

いいや、俺はご機嫌さん、なのだ。
こんなことで目くじらを立てるような狭量など、この日は微塵も持ち合わせがない。

寛容と寛大この二つの寛を持てば、世界は平和と言う時間を共有できる。
そうだべ、西洋絵札の名が付いたお偉いさん。
そして晋のつく嘘つき君。

さて復路の勝星は、いくつ拾えるべか。

あっ!
そういえば餅を買っていない。
女房にお昼に作ってくれとねだった。
久しぶりの鍋焼きうどん。
買って来てねと頼まれていた。

いいや、リュックにそんな隙間はない。
しかもこれ以上重いのは勘弁して欲しいと弁明しよう。

鍋焼きうどんに餅が無くても、なべ焼きうどんの価値は少しも下がることがない。
麩と長ネギとシイタケで煮込んである。
そして仕上げに卵が落とされ三つ葉が放たれている。

そのうえ餅など欲しがるのは、贅沢行為以外の何者になる。
そう自分を納得させる。

帰路は、2勝1敗。
餅の買い忘れが俺の顔に不満の影をおとしていたか。
その代償の1敗だった。
対人の関係は、鏡の如き。

出来上がったうどん。
それは美しいなべ焼きではないか。
最後に落とした卵は、白い薄幕を張り存在を奥ゆかし気に主張する。
その薄皮をひん剥いてゆく。
どうだ、どうだと薄笑いを浮かべた悪代官が生娘の帯を解いてゆくような。
あ~れ~~。
卵は、汁の中で千々に乱れ液体から半固体へと変体してゆく。






仕上がりに箸を入れ
崩してしまってから
気が付き写し撮る。





女房が作る鍋焼きうどんは、専用の鍋がある。
実家で使っていた鍋。
父親が好きだったという鍋焼きうどんを作った鍋。
どちらも早逝している。
俺は、会うことのできていない
女房の親。

平凡にそして幸せに暮らした生活の一部を支えた鍋。
目には見えない微孔に実家の味が浸み込んでいる。
それが少し溶けだし女房の味のもう一押しをする。

しかし昨日の味は、ほんの少し完成されていない。
鍋焼きうどんは、吹きこぼした汁が焦げる。
そして土鍋の内側の汁の境目にも焦げが付く。
その二つの匂いを付けて完成となる。

焦がさないように仕上げたのだという。

馬鹿者!
士郎、手練れてきたと思った儂が愚かであったか。

海原雄山ばりの喝を一つくれたジジィーなのだった。


このおやじ、アゴハリ一族
世に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
斜めから見る習性は、周囲に疎まれる。
趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター

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