江戸時代の和算家の話。
そこから少し興味を抱く。
とはいっても算数程度ならいざ知らず
学などと余計な字の付く物に興味が沸きようがない。
成り立ちについての興味。
和算は、日本独自の視点で展開されてきたもの?
やはり大陸は、中国からの伝来。
紀元前1~2世紀の漢時代
九章算術という数学書が日本に輸入された。
そこから日本の算術が始まった。
満月が飛んでいる
答え曰く、術曰くと二通りの導き方で表されていた。
日本でもその記述方式が取り入れられ発達した。
算術の必要は、やはり国納め:税。
畑の大きさを求める。
栗や米など価値の違う物の交換比率。
測量術
などなどが書かれていた。
九章算術は、それ以前にも存在した数学の基礎を確立したものと言われる。
当初の円周率は、3。
徐々に加筆されて3世紀に入ると数学者劉徽:りょうきが
3.141024<π<3.142074 まで表わしていたという。
朝廷から武士へ受け継がれ算術は、地方の権力者たちの宝伝となってゆく。
それが日本の数学の基盤となり、江戸時代吉田光由の手で
寛永5年1628年算術書塵劫記じんこうき が書かれた出版。
ベストセラー&ロングセラー本となる。
円周率を3.16としていた。
この本から後に関和孝、関流の租が生まれる。
円周率を3.14~と続け11桁まで解いていた。
点竄術:てんざんじゅつという筆記で計算する方法を編み出す。
江戸時代の中頃の話。
知的好奇心が旺盛であったことが伺える。
ニュートンやライブニッツという後世に名を馳せた
数学者が同時代の地球上に生をしていた。
このことから微積分の創始者ともいわれているそうな。
和算は、世界を通じて最高のレベルだったとも言われている。
その時代には、貴族や武士だけでなく商人や一般人にまで
算術の流行があったという。
和算が、大いに発展した頃。
こういう流れで明治開花時に西洋の数学を難なく理解できた。
さらに現代の多数の日本人ノーベル物理学受賞者に結びついている、という識者もある。
俺の脳味噌では、これ以上の理解は無理。
ところで数学とまでは、いかないまでも掛け算の基礎、九九がある。
その九九の歴史は?
万葉集にすでにこのような歌があるという。
若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてる にくくあらなくに
ニ八十一を憎くと読ませた。
九九:八十一が知られていた証だという。
俺は、いまの今まで知らないことがあった。
九九の掛け算と共に、割り算の暗記法に八算があるという。
ニの最初を読むと
二一天作のゴ、2で10を割ると5と言っている。
割り切れない3が分母の場合。
三一三十の一:三天作三十の一
3で10を割ると3で1余りと言っている。
算盤を元にした暗算方式。
作は、裂くで割るの意味になる。
天は、10を指す。
日本では、16世紀頃に普及したらしい。
今の教育にはない。
昔のそろばん塾では、これを唱和しながら玉を置いて行ったんだべな。
ねがいまして~は、 インイチガイチ
妊娠が10ケ月
三振アウト
四苦八苦
誤飲注意
ろくでなし
質草もなし
発破爆発
キュウバンボーイズ
十,一の高利貸し
ご明算
今日の勉強は、お仕舞い。
このおやじ、アゴハリ一族。
世界に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
物事を斜めから見る習性があり周囲に疎まれる。
趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター