ダイハードシリーズ。
5のラストデイは、今年見ているので1~4までを先週から続けて見終わる。
にしてもマクレーン旦那に助けられる女房ホリーがなぜ別れてしまう?
画像:アマゾンより
サッカーを見たいがためにアマゾンでDAZNの契約をしている。
その初期にプレミアお試し契約をした。
映画が、いつでも見放題になる。
が、どうも感覚が違う。
DVDをレンタルしてレコーダーに挿入してさて開始。
でないと映画を見るぞ。
の雰囲気がしない。
小説なら厚い表紙の付いた紙本。
ニュースもペーパー。
これは、身に着いた習慣からなのか。
だとしたら映画は、TVではなくなぜ映画館とならないのだろう?
考えて出た結論は、現物感。
本、映画とも手に取って存在を確かめながら鑑賞できる。
リアルであることがいいのではないか。
オンデマンドと現物とでは、利便において大きな差がある。
現物の不便さが良いのではないか。
さて本を読みましょう。
少々紙の重みを感じながら本の中に引き込まれてゆく。
ネバーエンディングストーリーの少年が本の中で龍に乗り仮想の世界を救う。
読む者を引き込んでゆく力が本のページに隔されている。
自分は、新聞の配達をしている。
遊んでいる時間の少しだけを使いお小遣い稼ぎができるのが魅力。
が俺は、新聞はなくなるだろうと思う。
情報を得る手段なら新聞でなくてもいい。
インターネットの世界でなんの不足もない。
今迄の客が雪崩を打って解約してしまうことはない。
しかし一軒消え二軒消えで、最後は新聞社が立ちいかなくなる時期が来る。
必ず来る。
新聞の存在価値は、現実感と即物感。
情報の内容を記事で読み写真で知る。
今迄は、新聞紙で習慣化していただけ。
インターネットのほうが文字数の制約もないし画像も動画でも配信される。
しかもそれに付随した情報も次々サーフィンして得ることが出来る。
知りたい情報をある程度掘り下げも出来る。
それこそいつでもどこでも、オンデマンドってやつだな。
レコード人気が復活。
使い捨てカメラ人気の復活があるという。
いずれも不便さが付いて回る。
大きかったり異音が入る、針を落とす作業など不便さが付いて回る。
でも心地良さが残る。
不便だからこそ完全ではないからこそ自然である。
カメラは、フィルムを現像し写真に焼いて初めて画像が確認できる。
悪い出来であろうと写真と言う現物が存在する。
携帯電話のデジカメでも印刷ができる。
がどうも違う。
写真との質感の違い。
現像した写真の厚みだったり。
写真の重さ、レコードの重さ、本の重さが人に感情の深さを覚えさせる。
ただ、おれにとって音楽は、流れていればいい。
写真は、モニターで再現できればいい。
ゆえにCDで充分。
自分の撮った写真をプリントすることもない。
と思ったジジィーなのだ。
レンタルDVDは、軽いべ。
いや、軽くない。
レンタルショップへ出向き棚の中からお好みを探し出す。
そして返却しに行く。
この行為だけでも重量感があると思わんか?
ところでダイハード6も公開間近なんだと。
このおやじ、アゴハリ一族。
世に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
斜めから見る習性は、周囲に疎まれる。趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター