2018年6月17日日曜日

屁に身もだえて

ある日の俺。
買い物に出かける。
お天道さんの笑顔に誘われて半そでTシャツに半ズボン。
肌寒い。
と思うも家に戻るのが面倒でそのまま出かけた。

愛車にまたがり近くのスーパーへお出かけ。
少しきつめの上り坂を上がる。
20Lのリュックが満杯ながらも軽快にペダルを回していた。

左の離れた場所に母親と手をつないだちいさな女の子。
4~5歳というところか。

俺を見てこう宣のたもうた。

あのおじいちゃん凄い!!

大きなリュックを背負いながらも軽いペダル回しを指していたのか?
それともその出立いでたちに驚いたのか。


少々のショックを覚えた。
頭は坊主に近いベリーショートにしているので白髪の多さは知れないはず。

となればサングラスで隠れた顔を年寄りと判断したに違いない。
一瞬に年齢を見分ける能力がその年代から備わっていることになる。
年齢や性別、感情を瞬時に読みとることが出来る。

そういえば赤ちゃんは、興味を持った他人の顔を深く見つめる。
この人は、悪い人か、いい人か?
じぃ~っと見つめて判断しているんだべな。

俺がショックを受けたのは、
少し離れたところからでもジジィであると認識されたことにある。

背中30とお世辞でも言われる。
が、正面からはジジィ。

いくら若ぶってみても変えられようのない事実がそこにある。
どうしようもない事実。

よくも悪くもそれが自分なのだから。
自己を受け入れられないような人生に幸せは、ない。
と思うからたるんできた顔も俺なのだと認める。

反対にその変えられようのない事実に手を加えて
不自然な顔を作ることに嫌悪感を持つ。
ならば不自然でなければいいのか?
それならいい。

が、手術で若さを整えてみても違和感が見えてくる。
特にTVの中の女性達にそれを見る。
男ならばなおのこと気持ちが悪い。
彼らは見てもらってなんぼの世界。
そのままの顔で勝負するのが潔し。
とは言えジジィ発言がショックでもあるわけで。
まもなく68歳の俺でも若く見えたいと思う心は、一いつ のことなんだな。






いい天気








今夜小学校~中学校と同期の連中との会がある。
以前は3年毎に開催していた。
そう頻繁にいらんべと発言をすると、いやいやもう明日がどうなるかしれんぞ。
会える時にしたほうがいいんでないかい。

確かに膝がいかれて座れないのがいたり、食事の制限をされているのがいたり。
黄泉の国に旅立った人もいる。

俺は30代で健康に注意を傾けてきた。
健康は毎日の積み重ねでしかない。
15歳で始めたたばこも、その頃に止めた。

それからの朝飯のおいしいことと言ったら。
ものの味が分かる。
微妙なところが理解できる。
匂いもそう。
俺の鼻は結構な精度を持っている。

何も特別なことは、していない。
例えばインスタント物は、食べない。
インスタントラーメンやインスタント〇〇などは、
世の中になくてもなんら不便がない。
PETの飲料は、飲まない。
コンビニ弁当や食品も極力食べない。

運動をして汗を出す。
晩酌は続けている。
が、飲まずにいられる。
多分日本一周では、数日飲まない日が続くはず。
北海道一周でもそうした。

ゆえにアルコールの依存症ではない。
女房がよくいうセリフがある。
休みでこんなにいいお天気なのに昼間からは飲まないよねぇ。
正月でも飲むときは夜だけ。
アルコールが分解される前に酒を重ねると
そんなにこき使わないでくれと肝臓が悲鳴を上げる。

薬も飲まない。

健康のためなら死んでもいいといったやつがいる。
俺もそう思う。
不健康では、毎日が楽しくない。

屁が臭い。
そんなことに目覚める前の俺の屁は、臭かった。
車の中で放屁しようものなら身もだえしてしまうくらいに臭い。

以前サルが自分のへの臭さに仰天していた図を見たことがある。
同じに俺も怖いもの見たさの変態興味で密室の放屁を楽しんでいた。

屁は、内臓の鏡。
今の屁は、それは香かぐわしい。
いけないものを食べたり飲んだりすると途端に腸内が腐る。

今夜は、おいしい酒と言えどもほどほどを心掛けないばなんないな。


このおやじ、アゴハリ一族
世に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。
札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
斜めから見る習性は、周囲に疎まれる。
趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター

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