2016年5月20日金曜日

ぴん、きり

バイクの季節を迎えてから下半身が熱い。
太ももが燃えて布団から脚を投げ出している。
ここの筋肉が燃えている。
師匠がまだ早くなる、と言うのはこういうことなのだろう。
走りのテクニックだけでなく走りに必要な筋力も付いてくる。

俺は、レースに出てみたいなどは、考えていない。
が、60歳中盤を過ぎてなお、
自身がどこまで走れるようになるのかと言う興味は強い。

少し走れるようになるとレースへの関心も出てくる。
出たい、ではなく世界の走りに興味がわく。

世界のバイクレース最高峰は、言うまでもなくツール・ド・フランス。
1903年に始まっている。
110年を超える歴史がある。








今年は、
7月2日スタート


画像:フィールド・オン・アース



総合優勝賞金5600万円は、意外に少ない。
賞金よりチームとの契約金が大きい。
トップチームのエースクラスで数億円の契約。
個人的なスポンサー獲得で副収入もありで、
その場合二桁の億に届く年収になることもあり。

きり は、300万円クラスのチーム契約もあるというからプロの道は深い。

日本の自転車競技
日本自転車レース歴史:日本自転車競技連盟サイトから

明治31年 1898年 日本初の自転車レース、大日本双輪クラブ主催

おやっ?ツールドフランスより5年も前にレースを開催している。
貴族や財閥がスポンサーとなり選手を育成強化。
選手は、スポンサー企業の社名を入れたジャージを
着用していたというから本格的なのだ。

1900年代になると
新聞社主催の長距離レースが行われた。
これらは、賞金付のプロレースだった。

新聞の拡張合戦としての自転車レースが盛んに開催された。
そして人気も博したという。

その後は、1934年日本サイクル競技連盟が発足。
後の日本アマチア自転車競技連盟。
オリンピックへの参戦目的でアマ化傾向が強くなる。
賞金なしのレースが主体となった。

一時は、日本プロフェッショナル自転車競技連盟と
プロアマ二つの団体に分かれていた。
1995年に二つは、日本自転車競技連盟に統合した。

国内で活躍するプロ契約選手は、同年代のサラリーマンと同等程度の年俸。

競輪選手の年俸
賞金王で2~3億円
きり で400万円程度らしい。

ところで、ぴん・きりの語源は?
語源由来辞典によれば、

ぴんは、ポルトガル語の pinta:点
さいころの1:ピンと呼び最高点から最上の意となる。

きりは、やはりポリトガル語 cruz:十字架。
十:10に見えることから終わり、最下位の節と。
天正年間1573年流行の天正カルタで各グループを12で区切ったことから
切り、限りで最下位の双節があるという。


このおやじ、アゴハリ一族。
世界に散らばり社会を斜めから見つめブツブツ文句を垂れ
世界の滅亡を防ぎつつ勝手気ままに生きている。札幌市在住、顎が張っている、へそ曲がりで頑固。
物事を斜めから見る習性があり周囲に疎まれる。
趣味:ロードバイク/ クロス カントリースキー/ そして、コンサドーレ札幌のサポーター

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