2019年9月15日日曜日

おどる、おどらない。

9月13日金曜日執刀医ウリタ先生の診察日。
明日退院させて欲しいと談判を決行する日。

8月25日の日曜日に千歳で怪我を負いその街の市立病院まで救急搬送を受ける。
右鎖骨骨折プラス2本の肋骨骨折と診断を受ける。
結局肋骨骨折は、5本となる。

直接生命に及ぶ怪我ではないので自宅の札幌で治療を受けることにした。
その日は、友人に救援してもらって自宅まで自転車共に送り届けてもらう。
そして翌26日紹介状とレントゲン写真のコピーCDを
携えて10分歩きスポーツ外科と看板を出す病院に出向く。

そこでもさらにレントゲンとCTスキャンで診察を受けた。
受け入れ出来ずと診断される。
右肺が8割程度に萎しぼんでいた。
転倒の衝撃から肺もダメージを受け穴が空いていた。
肺気腫と言うやつ。
右鎖骨は、プレート固定手術が望ましい。
が肺気腫を併発しているとうちでは手術できないのだという。

手術の時、全身麻酔を掛けられる。
麻酔って何?
改めて説明しようとすると、神経:痛みを感じなくなせる方法。
と答える。
部分麻酔は、局所付近。
全身麻酔なら文字通り全身。
これくらいの認識しかない。

神経を麻痺させるということは、痛みだけでなく筋肉の動きもできなくなることになる。
これが全身となると体中の運動を停止させられることになる。
脳みそは、筋肉ではないけれど思考すらできない。

心臓の運動も弱いものになる。
血管は、弛緩してしまい広がるのだという。
そうなると血圧の低下が起きる。
肺の働きも弱くなっているので生命を維持させる酸素が全身に行き届かない。
更に自身で呼吸をコントロールできないので酸素不足が生じる。
そこで気道に2本のチューブを差し入れ両肺に酸素を強制供給することになる。

その時に肺に穴があいていたら?
単純にその危険が理解できる。
抜け出た酸素が肺をつぶして肺が逝かれてしまうことになる。

その危険があるのでうちでは受け入れられないという。
ではどうするか?
その場合は、胸にチューブを差し流れ出た血液と空気を抜くそうな。
朝焼け、退院日の病室から。













整形外科と外科の違い。
理解したのは内臓を伴う外科的治療と内臓を伴わない外科的治療の整形外科。

と言うことで俺の場合は、肺の穴をどうにかしてから
鎖骨手術へと進むことになる。
事故直後は、診断されることがなく翌日に発見された肺気腫。
幸い極小さなものですぐに塞がるのではなかろうか。
と言うことで数日の経過を経て塞がってきているようですね、となる。

で事故から12日目の9月5日に鎖骨プレート固定手術と相成った。

自分に関係したことでなければ考えの及ばなかった全身麻酔の
入り口だけでも知ることが出来た自転車事故の付録となる。

そして術後の8日目に執刀医の診断。
この医者は、週一で札幌の大学からこの病院に出張している。
手術前に顔を合わせていない。
手術の現場では、すでに麻酔の掛かった状態。
故に俺は、執刀医の顔を知らない。
この日初めてご尊顔を拝した。

手術でお世話になりました、と礼を述べる。

前日の採血での血液検査とレントゲン撮影から
「順調のようですね」、と口火が切られた。

すかさず「明日退院させてください」と訴える。
医者の顔が少し曇る。
ベッドの寝起きは、スムーズにできるようになりました。」
「難しい患者と聞いていますからねぇ。」

肋骨治療のためのバストバンド勝手にを外していたことで
この病院の整形のボスに一度お叱りを受けている。
外していたことで少しずれた肋骨が出来ていた。
お顔の曇りは、このことを指しているらしい。

「鎖骨は、微妙ナンデス。
綺麗に付くまで慎重に経過させる必要があります。」
そういえば俺の骨折は、かなり斜めに折れている。
肩側の断面が二つで全部で三つになって折れている。
確かにしっかり固定するまで動きに神経を尖らせなければならない。
「肩の可動域が広がっていますが決して無理はしませんから。」

翌日の26日は、北海道コンサドーレ札幌のホーム戦がある。
前節の神戸戦とルヴァンの広島の二戦をTVですら見られていない。
試合観戦に飢えている。
逆転勝ち2試合。
チーム史上初めてのルヴァンカップ戦ベスト4進出決定試合の引き分け1試合。
いいところを三度見逃がしている。

懇願した。
目一杯情けにすがる。
「お願いします。」
一拍の停止がある。
「後一週間は、三角巾を外さないようにしてください。」
折れてくれた。
来週までは、入院させていたかったようだ。
「ありがとうございます。」
間髪入れずに礼を述べる。
かくして入院20日目、9月14日朝食を済ませて
午前中に退院を獲得したジジィなのでありました。

病院から自宅まで歩こうと決めていた。
普段なら45分くらいで歩く距離だと思う。

10日火曜日から院内を歩き始めている。
11日~13日は、院内を5000歩ウォーキングした。
距離換算で3km。
後で検索してみると病院~自宅は、丁度4km。

3km歩ける人が4kmなど何の問題もなかろうと思うのだが然にあらず。
院内の平面とアップダウンを持つ4kmとでは負荷に大きな違いがあった。
初めから完歩を目的にしていたので速度は、控えた。
70分かかった。
ここまでなら気持ちのいい疲労。

11時に帰宅して前節のリーグ神戸戦をDAZNした。
大好きなうどんで昼食を摂り、2時からのホーム戦に心躍らせていた。
結果は、1-3の惨敗。
代表戦で疲れの残るチャナの不振。
去年から連続出場記録を持続していたDF進藤の怪我欠場。
ほかチーム全体の動きが重い。

仙台の思うように試合を進められてしまう。
退院した喜びに水を浴びせられた。

それでもライブラリーに出かけ本を物色し、ついでにサイクルプラザの師匠へ退院報告。

今日は、その二回の徒歩で合計11000歩の歩き。
足ったこれだけで夕食後は、ぐったりしている。
ただ、その分眠りは大満足のものになる。

心が踊る、踊らないそして爆睡の1日を過ごしたジジィなのでありました。

爆睡の朝の気持ちのいい事。
人間喰ってなんぼ、動いてなんぼ、そして寝てなんぼなのだ。

小説Lugeの続きは、この怪我が癒えてからにしようと思う。
へたくそであろうと最後までは行き着かせる責任が俺にはある。

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