あるときふと他人宅の表札の中の俣という字が目に留まる。
人偏に口そして天。
絶対人間に関係した漢字であろう。
考えるに人がいて口を開いて立っている。
俣は、道や川などの分岐点。
なぜ分かれる場所の意味になる?
もともとの中国の漢字は、俁 。
日本で独自変化して俣。
漢字の成り立ちは、思った通り。
期待を胸に待っている人の意だと。
別れのときの見送りは、もう少し先で、そしてもう少しと
距離が長くなりがちになる。
ここで本当に最後の別れにしましょうは、大きな分かれ道。
見送られる人も見送り側もそこで踏ん切りをつける。
逆にその人が帰ってくるとなれば
その場所まで迎えに赴くのではないだろうか。
その場所こそ俣なのか?
3月、まもなく南の斜面にふきのとうが現れる。
話は、変わる。
自分の耳垢は、湿ってたり乾燥していたりする
外的な要因のときなら理解できる。
が、そんな原因がないのに乾燥していたり、湿っていたりすることがある。
ウォッチしてみた。湿っている、いないは、アポクリン腺の働きに関係していた。アポクリン腺は、汗腺のひとつ。
体の限られた部位にありフェロモンも発生させる。
人間は、脇の下に集中している。
耳の中や耳裏にもアポクリン腺のみが存在するのだという。
そしてその数が多いと湿耳垢になる。
耳垢種類を研究している北海道医療大学新川詔夫元学長の研究から。
人類の起源と言われるアフリカの先祖は、湿型。
そこから地球の各地方に移動するうちに
その土地の気候に合せて耳内乾燥する種が現れた。
中国北部やモンゴルあたりが
乾燥耳垢のルーツではないかと予想している。
耳垢も気候に左右されるのか。
それは、遺伝子に組み込まれ現代の人間に受け継がれている。
日本は、83%〜68%の確率で乾燥型なんだと。
もともとの日本の住人縄文人は、湿型で
その後に渡来した乾燥型人種により混合してきたのだろう。
と新川教授は、推測している。
これも前回の一重瞼に関係した事柄か?
だとすると日本の縄文人は、渡来人の勢力図に塗り替えられたことになる。
俺は、子供の頃乾燥型耳垢。
しかし、成人してからは、湿型も出現する。
つまりは、縄文人の血も混じっているということか?
同じ耳の中の話しながら耳垢からは離れる。
最近、突然めまいを起こした人の話を聞いた。