再開まであと少し。
あと少し、あと少しと指折に待つ。
そして明日がJ1の再開日となった7月3日。
ふと考える。
明日の次は、明後日あさって。
その次は、し明後日
そしてその次が、やの明後日。
し明後日のしはなに?
弥のの後は何?
まずは、明日。
本来は、朝を指す言葉。
夕べの反語から生まれている言葉だった。
夜が明けた翌日の朝で明け日。
時を意味するしだと重なり、明け時しだ。
縮まって濁音も消えてあした:明日と転じたそうな。
いつしか翌日のいち日も意味するようになる。
明後日
明日が去りてあすさて。
あすさて変じてあすて。
あすてがあさって。
し明後日
し明後日のしは、
過ぎしのしと
隔:へだてるの二説有り。
過ぎしの明後日、変じてし明後日。
隔てる明後日が訛ってひだてる明後日。
ひだてる明後日からひ明後日となり、し明後日に転ずる。
再明後日が変じてし明後日になったとする説も有り。
再明後日は、さいあさってからささってもという。
伊勢志摩では近年までささってを使用していたらしい。
さき明後日の表現もあった。
ささって、さきあさって共に西日本で使用された。
し明後日のしに四をあて四明後日。
今日を数えて四日後の意味で使用した地域もあるそうな。
やの明後日
やの明後日のやは、弥と書く。
この場合の弥は、どんな意味?
弥は、本来彌と書く。
遠い・久しい・わたる・つくろう・いよいよ・さらになどの意味。
四日あとの明日で四明後日をよんの明後日。
弥は、遠い時と言う意味も持つので、
四を弥に転じて弥の明後日としたのか。
弥は、物事が重なったり盛りだくさんの意味も持つ。
そこで四日後までの日を弥の明後日と解説するサイトもあり。
弥の明後日以降の明日は?
五明後日、
さらに六明後日と表現するらしい。
鶏に少しだけ増した脳みそほどの俺の記憶力の俺。
折角調べたへぇ~を覚えていられるのはせいぜい明後日が良いところ。
し明後日という表現さえ使うことがないのだから
明後日まで覚えていられるならそれでいいのか。
さて、そのJリーグ再開のFC横浜VS北海道コンサドーレ札幌の試合で
鈴木武蔵の覚悟を見た。
その覚悟とは、エースとならん。
札幌のエース?
いや日本のエースのこと。
昨年トップ代表に呼ばれてAマッチ初出場をしている。7試合出場で1得点。
この時に武蔵は、自分に一番足りないものを自覚した。
ゆるぎなさ。
自分自身のゆるぎなさと
チームメイトからのゆるぎなき評価。
この二つ。
俺の個人的な見解です。
成る。
彼は、自分のポテンシャルを十分に自覚している。
俊足、
そして、ストライカーとして十分に過ぎる身長185cm。
サッカーの始まりは、7歳。
中学も続けて桐生第一高等学校に入学。
桐生第一高等学校は、中高一貫校ということを考えると推薦で入学なのだろうか?
ともかくサッカー部に入部。
素材は、飛び抜けているものの基礎が出来ていなかった。
それまでのプレイでは、身体能力だけで通用していたのだろう。
1年生の1年間は、基礎を徹底的に練習させられたという。
公式戦に出場させてもらっていないそうな。
2年生で全国高等学校サッカー選手権大会の埼玉代表となる。
前橋育英高等学校を下しての県代表。
この大会でベスト8まで進出。
武蔵は、初戦ハットトリックの3点。
二戦目 1点と活躍。
大会の優秀選手を獲得している。
次の年は、前橋育英高等学校が雪辱を果たし埼玉県代表となる。
その桐生第一高校の小林監督は、武蔵を十二分に評価していた。
基礎を仕込ませていた1年生の時にU-16に推薦。
新潟のユース国際戦に3試合出場し3得点している。
その後各年代の代表選手に選出されている。
2012年アレビレックス新潟に入団。
2017年までに水戸、松本へのレンタル移籍を含め5年間プレイ。
2017年までの成績
J1:97試合出場7点
J2:15試合出場2点
素材は、いい。
豪快で奔放。
が、下手。
そんな印象があった。
2018年 ヴァンフォーレ長崎に移籍。
アジアの大砲と謡われた高木琢也監督が武蔵を開花させた。
まずは、打て。
力まず打て。
端的には、この二つに要約されるだろう。
結果が出始めると相手チームのマークがきつくなる。
次の段階では、空間を作る動きも指導されたようだ。
身体能力が傑出しているだけにそこに頼ってきた武蔵。
DFとの駆け引きや、味方からボールを引き出す動きを要求されだしたのだと思う。
それがさらに結果になる。
長崎で29試合出場、11得点している。
初J1ステージの長崎だったが早々にJ2降格。
武蔵の働きでは、長崎にJ1残留貢献できなかったことになる。
が、武蔵のステージは、アップした。
もっと上のステージに上がりたい。
ミシャコンサドーレからの要請に移籍を決断。
2019年は、33試合出場で13得点を記録した。
その活躍を持って代表選手となる。
が、代表の中で武蔵は、エースではなかった。
要求してもボールが出てこない。
エースとしての信頼がない事を痛感した。
ここで次のステージへの葛藤があったのだだろうと推察する。
自身の何が足りないのか?
自分の出来ることは何か?
それを為すにはどうすればいいのか?
深く強く自身との会話を繰り返した。
努力は、必ず人を大きくしてくれる。
2020年Jリーグ戦が三戦終了で4得点。
ルヴァンカップ戦一戦終了で1得点。
出場全試合にゴールを記録している。
ゆるぎない日本代表エースへと好スタートを切った。
が、スポーツ選手に常につきまとう故障。
プロ活動の当初から太ももの肉離れを抱えている。
爆発的な動きの出来る筋肉は、えてして自身の肉体を傷付けてしまう。
個人トレーナー
2017年から個人トレーナーを雇い筋肉へのケアにも取り組んでいる。
前日の鹿島戦後半24分に独走ドリブルでランニングを止めた。
ハムストリングスの故障。
自ら交代を要求。
さて、深刻な状態なのか否か?
全治2週間の肉離れ、軽症で済んだらしい。
プロ選手に一番要求されるのは、常にピッチ上に立っていられること。
大きな故障をしないこと。
肉体へのケアをしてきた結果
今回は、故障を起こしてしまうも軽症で済ませた。
しかし、今少しの準備が不足していた。
肉体管理のためには、何が必要かを改めて認識したことだろう。
今後の選手生活にとって良い機会になった。
海外でのプレーを意識し英会話のトレーニングも始めたらしい。
今季のゴール目標は、20点。
これは足りん。
武蔵ならば足りなすぎる。
世界の舞台で活躍をしたいなら、
そして武蔵のポテンシャルならJリ-グで30点以上を目指さなければ。
1試合1点以上を狙え。
いや、内心では定めているはず。
歴代得点王の中でもキングオブキングがいる。
27試合で36得点
中山雅史、磐田所属。
1998年の事。
第一ステージ優勝
第二ステージ2位
リーグチャンピォンシップで鹿島に敗れる。
その時代の日本の絶対的エースだった。
生涯勝利し続けた剣豪宮本武蔵にあやかった名の鈴木武蔵。
ここを塗り替える可能性を持った選手。
それが武蔵。
塗り替えた時に札幌の優勝がなされる。
そして日本のエースとしてゆるぎない信頼を得られている。
そして次のステージへの階段が用意される。
君の舞台は、世界。
どこまでも駆け続けろ。