2019年5月30日木曜日

小説 Lugh ルー 10

中学の時に他校のバッターを二人病院送りにしていることは、事実でした。
嵯峨先輩は、キラーSに間違いありません。」
部員に白波が起った
「その二人に話を聞きました。
二人とも証言しています。
嵯峨先輩は、キラーSだと。」
ここまで言って一息ついた。
みんなの顔が青ざめている。

そして続けた。
「内角を果敢に攻めてくる。
打ち気に逸はやっていた時内角ストライクぎりぎりのボール球が来た。
どうしてもバットが始動してしまう。
打ったとしても凡打間違いなし。
そこでバットを止めた。
しかし避けられなかった。」
一度呼吸を整える。

ルールの中のプレイ。
ピッチャーとしていい意味のキラーS。
バッターにとっていやらしいキラーS。
避けられなかった自分を悔やんだけれど
ピッチャーを恨んでいないと証言してくれました。」


僕たちピッチャーは、内角への投球を苦手とします。
当てて塁を埋めてしまうことと怪我をさせないだろうかという弱気のためです。
甘くなると安打の危険も大きくなります。
嵯峨先輩は、コントロールに磨きをかけて内角攻めという大きな武器を持ちました。
素晴らしきキラーSです。」















部員は、頷いている。
日ごろの嵯峨先輩への評価そのままであった。

頷きつつ疑問を顔にしている。
でもお前の場合は?



「僕の時は、完全なアクシデントです。
滑り込んだときに僕の脚が先輩の右脚を払ってしまいました。
倒そうと思ったわけではなく勢いでそうなっていました。
僕は、横向きで右脚を畳んだ状態。
右脚をコントロールできません。
嵯峨先輩は、重心がかかっていた軸足を
払われたのでランナーの僕に覆い被ぶさりました。」

「先輩は、右肩から落ちてきました。
でも咄嗟に身体をひねり肩甲骨で当たりました。
点より面、肩甲骨のほうがダメージが少ないと判断してのことです。
その時僕の上半身は、伸びていて腕で防御できませんでした。
肩で当たられていたら鎖骨の下の血管や神経まで損傷した可能性かありました。

「世の中には、防ぐことのできない事故や間違いが必ずあります。
今回はその一つです。」

「僕は、1年間休部の願いを申し入れました。
僕の替りは、います。
雑音に振り回されずにチーム一丸となって試合に臨んでください。」

嵯峨先輩が歩み寄ってきた。
僕の目を捉えている。
僕も見つめる。
お互いの目は、潤んでいた。
抱擁し固く握手した。

二人の周りに大きな輪ができた。そしてみんなは、バシバシと叩きます。
「白石の骨折は、治っていないんだぞ~。」
盛岡キャップテンが諌めている。
口々に「行くぞ~甲子園」と叫んでいる。
そして拍手が広がりました。

「よ~し練習始め~!」監督が号令。

それぞれがグラウンドに散って行きました。
僕は、少しの時間それを眺め監督に挨拶をしてグラウンドを後にしました。
そのときふと感じました。
もう戻らないかもしれない。


校門を出ようとすると後ろから母が声を掛けてきた。
「お疲れ様」
駆け寄って僕に並びます。
「ずっと見てたの?」
「心配だったから陰から見ていたの、恰好よかったね。」
「あん。」
ああとうんが一緒になってしまう。
高揚感を隠したくて平静を装うとした。
照れくさくもあった。
無事に責任を果たすことができた安堵と素直に喜ぶ気持ちのうん。
素直が勝つ。
母の前で気持ちを取り繕うことができない。

「中学の時の二人の選手にはどうやって連絡できたの?」
「戸田さんに助けてもらった。
嵯峨先輩のいた北海道北地区の
中学の野球部マネージャーをしていた娘が、清田の中学に転校している。
その娘に前の中学の野球部監督への連絡先を教えてもらった。
そこから順に当の本人達に辿りついた。」

「へぇ~!亨蕗とおるは、探偵物語だね。
松田優作は、格好良かったなぁ。」
「なんだこりぁ?ってやつ?」
「それは、太陽にほえろ。」
「ふ~ん。」
松田優作は、ハリウッドで主役を張ることのできる
数少ない日本人俳優だったけれど
そのハリウッド映画の一作目ブラックレインが彼の遺作になってしまった。
そんな逸話から始まって帰宅するまでの車中でずっと松田優作を語っていた。
余程好きだったのだろう。
母のアイドル松田優作と僕がダブって見えた?

退院の次の日から通学を再開した。
日常の動きならしてもいいと言われていた。
順調に回復している。
我慢できる痛さの限界まで少しづつ動かすことも始めた。
ただ腕を大きく又は、強く動かすことは、禁じられている。

抜鈎ばっこう、スキンステープラーの針抜きは、術後10日で終了。
退院の日にその日時を指定されていた。
14本の針を専用の引抜器で引っこ抜く。
麻酔なしの生身。
「鎖骨の皮膚は、神経が集まっていないから痛くないですよ。」
と看護師さんに言われる。
患部を広く確保したいので反対を向かされる。
視界の隅に状況を把握できた。
一本目が抜かれる。
体がこわばる。
あれっ?
思ったより痛まない。
注射針を刺される程度の痛さ。
リラックスした。
次々と針が抜かれてあっという間に終了。

抜いた針を欲しいと頼む。
14本を譲ってもらう。
コの字の針は、抜くときに上を凹ませてM字形になっている。
より力をかけやすくしてから抜く。
僕のM14。
自宅の机前にM字14針の入ったビニール袋をかけている。


気分が、上がらない。
情熱の炎は、無くなっている。
消えてはいないけれど燻っている。
それでも術後2週間もすると自分の体が動かせと要求してきた。
運動して汗を流したい。
自転車に乗ってみたらどうなる?
家のローラーに乗ってみた。
固定式なので転倒の心配がない。
腕は、ハンドルに触れる程度ですませられるので肩の負担も少ない。
様子を見ながら徐々にペダル負荷を上げて見る。

汗が噴き出てきた。
うっぷんが汗と一緒に出てきた。 

しかし、心の真ん中の大きな塊は、炎を上げることはない。
朝起きてご飯を食べて学校へ行き授業をこなし帰宅。
左肩に気を付けつつ習慣になっていたストレッチをする。
鬱々していようと一日は、確実に過ぎてゆく。
空虚な一日が終わる。

暦は、6月に入っていた。
葉を落としていた木々は、新しい緑で覆われている。
まだ浅い緑色。
リラの花が、街角で咲きだした。
花の色は白のほか紫や薄紫と数種ある。
僕は、紫が好きだ。
その甘い香りが街に漂う。
初夏の札幌。
僕の一番好きな季節。
なのに晴れない気分。

戸田さんとゴリが自宅を訪ねてくれた。
自転車に乗れるようになったのなら朝練再開しようということになる。
「そうしようか。」
朝練をしてから通学すればいい。

「前と同じ時間に迎えに来ま~す。」

リュックを背負う必要がない。
朝練は、思い切って走る。
滝野峠の入り口までは、先頭で曳く。
「ルーせんぱ~い出し過ぎ~!」
ブレーキの声が掛かる。
インナーに切り替えて走る。
鱒見口からは、自分ペースで登る。
モアイ像に到着した。
後続が見えない。
下ってみた。
アシリベツの滝で二人とすれ違う。
「すぐ追い駆ける、先に行ってて〜!」
その下の駐車場まで下りて再び登る。

モアイで二人が待っていた。
「荷物なしだと段違いに速いな。」
戸田さんに嵯峨先輩の件のお礼を再度した。
そして「陸上の調子は?」と聞いた。
「いいです、部長先生が北海道大会の優勝は間違いないだろうって。
でも優勝ではなく記録が問題だからなって言われています。」
「中学陸上北海道大会が7月で8月に全国大会があります。」
「ただ女子に3000mはなくて1500mへの参加になります。」
「夏休み期間だから応援に行けるかも。」
「ぜ~った~い来てください。」


「ルー、肩はどう?」ゴリが聞いてきた。
「普段の生活に支障がない程度の動きは、出来ている。」
「問題は、オーバースローだべな?」
「強度の強いリハビリは、靭帯への負担も大きいので医者に禁じられている。
少しづつ可動域を広げるリハビリを自分でやっている。」

「あれだけの球を投げられた肩だからなぁ。
あれを再び投げられるようになるには根気が必要なんだべな。」
「そうだね。」
「その球が見たいなぁ。打てない真っすぐ、唸る直球。
私も直に見たい、先輩見せてくださいね。」
「そうだね。」
僕の気持ちの籠らない返答に二人は戸惑っている。
「一朝一旦にいかないか。」ゴリがつぶやく。

「一反木綿てなにか知ってる?」
戸田さんが話題を変えてきた。
一反て面積なら300坪なんだけど木綿となると布のサイズになるんだって。」
「同じ字?」
「そう、布だと幅1尺で約30cm、長さ3丈で約9mで一反、
着物を一枚作ることのできる大きさなんですって。」
「なんでそんな事知ってるの?」ゴリが聞く。
「私ゲゲゲの鬼太郎が好きでそこに出てくるキャラを調べたことがあるの。
鬼太郎って民話、子育て幽霊を元に作られたんです。
墓場奇太郎という紙芝居に仕立てられて出来上がったキャラです。
昭和の時代に大人気の紙芝居でその紙芝居作家が、・・」

「長くなりそうだからその先は、今度ということで解散しようか。」ゴリが遮る。
「もう少し話をさせてくれてもいいんじぁないの?」
少し膨れ顔の戸田さん。
気落ちしている僕に気を使ってくれていることが窺がえる。
「ありがとう」と心でつぶやく。

自転車で通学もするようになった。
父の自転車バッグを借りた。
後輪横につけて勉強用具はそれに入れる。
リュックなしで走る事ができる。
ヨサコイソーランが終え札幌祭りが過ぎる。

他の運動部から勧誘が来始めた。
最初は、サッカー部。
経験がなくてもGKなら十分行けると押してきた。
休部とはいえまだ野球部に席を置いているのでと断ると
野球部の監督には先に断りを入れてあるという。
野球部員の多くは、サッカー部が嫌い。
長髪だし練習休みが多い。
いつも汗臭い野球部、格好がいいサッカー部。
なによりチャラいと思われている。
というより女子との交際時間を取ることができるサッカー部が羨ましいのだ。

そこで一時的でもサッカーをしようものなら野球部への裏切りになる。
「実は、幼稚園の時に地区のサッカー少年団に入ったことがある。
ヘディングの練習になると迫ってくるボールが怖くて頭が逃げる。」
と告白して諦めてもらう。

次は、陸上部。
「野球を休んでいる間だけでも短距離選手で大会出場してみないか?」
走ることは大好き。
だがやるならとことんやってみたい。
まだ肩を強く動かす事ができないので今は、無理だと断る。

バスケットとバレーもやってきた。
バスケは、対人衝突があるので今は無理。
バレーは、肩を強く動かせないので駄目。

もうひとつやってきた。
スキー部。
「人気がないので部員も少ないのだがクロスカントリースキーをしないか?」
夏の時期は、陸上でのトレーニングが主で冬の大会を目指さないかという。
少し迷う。
父がやっていた競技を自分もやってみたい。
始めたらのめり込むであろうことが想像される。
でも野球を諦めたわけではないのでとこれも断った。


野球部監督が他の部に1年だけかもしれないけれど
大きな戦力になると薦めていたらしい。


夕食の時に父が「夏休みに自転車旅行しないか?」と声を掛けてくれた。
父は、札幌市の経済観光局に席を置く。
そこでサイクルツーリズムを推進している。
北海道庁とも連携して宅配便やJRの協力を得て
荷物を持たずに北海道を自転車旅行してもらおうという事業の試験運用が始まった。
父の企画が形になったらしい。

自転車も手軽にJRに乗せられるようになる。
それを使って知床方面を走ろうという提案。
「ルー君は、知床峠を走ってみたいと言っていたよね。」とは、母。
父は、「3~4日くらいしか付き合えないけれどあとは一人で走ってみたら。」
と勧めてくれた。

沢山は上げられないけれど、資金は任せてと母が後押ししてくれる。

ロードバイクで小旅行はしたことがあるけれど長期はない。
一も二もなく承諾。
夏休みが始まったら直ぐに行こうと話がまとまる。
道東やオホーツクをバイクで走ってみたかった。
すこし気分が晴れてきた。

11に続く 

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