2020年5月20日水曜日

短編小説 ボンバーマン 其の五

明日は、お互いに仕事がある。
別れが惜しい。
幼児のように、脚をばたつかせてまだ居たいようと叫びたい。
シンデレラもこんな気分?

乗ったタクシーのドライバーさんが
「おめでとうございます。」と声掛けしてくれた。
何故諒子さんとのことを知っているのだろう?といぶかった。
直ぐに試合のことであることに気が付く。
ラグビーのファンらしい。
話が進みそうなので気分を害しないように
「ごめんなさい、疲れてしまいました。
 着いたら起こしてください。」
目を閉じた。
瞼の裏に今夜のデートの光景がフラッシュバックする。

0時に帰寮。
ベッドに潜り込む。
試合とデートの興奮が磯波となり身と心を揺らす。
強く押し寄せたと思うと気持ち良い余韻と共に静かに引いて行く。
いつの間にか深く眠りについていた。
そして朝がきた。
少しの気怠さを引きずりながら寮の朝食を終えて練習グラウンドへ向かう。
寮から徒歩10分の距離にある。
独身の僕は、職場や練習グラウンドまでの近さや
寮ならではの利便性から一人住まいの気が起きたことがない。

寮は一人部屋。

一人になりたければ部屋に籠ればいい。
寂しければ食堂で誰かを捕まえて無駄話もできる。
風呂の時間は、夜10時までと決まっているがシャワーなら24時間使用できる。
ガタイのでかい男達が5人入ってもゆとりある浴槽。
銭湯のような解放感が好きだ。

画像:AC写真より

















この日は朝からトレーニングの日。
検査が終わるまでアタックやラックなど
首に強い衝撃が起きるトレーニングは、しないように言われている。
監督、コーチに話をした。
「そんなに悪化してるのか?」
監督が問う。
「いいえ、ただ医者の友達が僕のしぐさを見て
気になるので検査を受けろと言いまして。」
「そうか。」
「僕自身は、軽い頸椎障害だと思っています。」
練習前のミーティングで
「舘林は、調整トレ」と全員に通達してくれる。

昼に諒子さんから検査の予定が届く。
「昨日は、楽しい一日をありがとう。
二日後の水曜日午前中に大学病院に来られますか?」
「こちらこそありがとう、訪院します。」

そして二日後。

担当医は、加藤という教授だと教えられていた。
頸椎の世界的な権威だという。
年齢は、50歳前半だろうか。
背丈は普通ながら猪の首、精力的な外科医の様相。

首の付け根に痛みがなかったか?と聞かれた。

実は、肩甲骨の奥の方、背骨に近い箇所に
痛みを感じることがあったことを伝える。
問診、そして触診後レントゲンとMRIの検査を受ける。

その後、少し待たされて診察室に招かれる。

加藤教授、
日本のラグビー界にとって大きな損失になる。
残念ながら米沢君の見立て通りだ。
開口一番言われる。
外傷性頚部症候群と診断が下る。

現在出現している症状は、重くはない。

が長い間のラグビー生活で重症化寸前状態。
このまま選手生活を続けると下半身不随などの大きな障害を引き起こすことになる。
診断のモニターを見せられながら説明を受ける。 

引退を促される。
重い神判だった。
諒子さんを悲しませな。
とも言われた。
「あれほど心配した顔の彼女を初めて見た。
きっと恋人に違いないと思ったね。」
隠してもしょうがない。
「はい、」
「彼女の為にも引退しなさい。」

このタイミングかぁ。

ラガーマンに怪我は付き物。
引退は、体力気力が低下しただとか、
脚が動かないなど致命的な怪我をしただとか、
明らかな現象があっての引退。
とイメージしていた。

監督に連絡を入れて面談。
検査の報告を入れる。
「引退か?」
「多分そうなると思います。
ただ急な話で気持ちの整理が出来ていません。
しばらくは、アタックなしで練習させてください。」
ラグビーから離れた場所で考えることも出来る。
が、体を動かしながらのほうが思考が整理されるだろう。
何より鬱々せずにすむ。
練習前のミーテイングで監督が、
「舘林は、しばらく調整トレーニング。」とチームに伝えてくれた。
チームの仲間が「ウッス!」と言いながらと尻や背中を叩いて行く。
皆の心配が心に響く。

2~3年前から右手にしびれが出るようになっていた。

試合後が特に強く出ていた。
首が痛くて寝返りができないときもあった。
診断されるまでラガーマンの宿命だと捉えていた。

その夜、諒子さんから電話が入る。

「今週は、スケジュールが過密だけれど明日夜会いましょう。」

そして待ち合わせ場所。 

この日もパンツルックで登場。
彼女の第一声、「ごめんね、」
「・・?」
「そこまで来ているとは。」
僕は、即応した。
「僕の方が感謝です。
 まだ26歳、体力もこれからがピークと思っていました。」
「そうね。」
「いずれは、必ず引退しなければいけない時期があります。」
「うん。」
「それが少し早まっただけ。」
「心の整理がついた?」
「どんなタイミングであろうと潔いさぎよく受け止めたいと思っていました。」
「うん、」
「ラグビーは、肉体をぶつけ合う過酷なスポーツです。
ラガーマンは、みな少なからず故障を抱えています。
大きな怪我にならないように日々トレーニングで鍛えています。
ルールも大事に至らないように改正されてきました。
それでも怪我は、起きます。
皆その覚悟をしています。
下半身不随の恐れがあるとなれば深刻に受け止めなければ。
身体をだましながら続けられる状況ではありません。」

「その後のことは?」
「やりたいことがあります。」
彼女は、僕をみつめたまま次の言葉を促している。
「あの大地震以来考えてきました、政治です。」
諒子さんが目を少し大きくした。
「総理大臣になります。」
諒子さんの顔が輝きだした。
「大きく出ましたねぇ、同時にとても面白そう。」
驚いた、こうもすんなり同意してくれるとは。
「食事に移動しよう、そこで続きの話をしよう。」

歩きながら

「加藤教授に、今からでも遅くない整形に来いと言われました。」
「深くて鋭い洞察眼を持っているよね、あの先生。」
「学生の時、加藤先生の講座も受けていて、
進路を決めるときに整形も迷ったわ。
人の観察が適切な診断に繋がるっていうのが口癖。」
「僕の異常に気付いたのは、そういうこと?」
「職業病ね。試合後に、右肩を回す動作が多くなっていたでしよう。」
「そうだった?」
「しかもその時、たまに顔をしかめてもいたわ。」

この日は、和食の店にした。
小上がりを希望。
「テーブル下が堀になっている。」
「この方が座りいい、嫌いなものある?」
「全然なし。」
お店のおすすめコースをオーダーする。
ビールで乾杯。

「今回のことで落ち込んだ。」
「軽くね、落ち込むというより驚きのほうが大きかったかな。」
「大好きなラグビーが出来なくなるんですもんね。」
漠然と30歳を過ぎてだろうと思っていたんだ。」

「絶望に出会ったことがありますか?」
と真顔で僕の顔を見る、そして続けた。
「私は、ありません。」
ただ、仕事上患者さんの重大な転機に立ち会います。
乳がんの患者さんが乳房を失くして暫し絶望することがあります。
鬱を併発することも少なくないの。」

「乳房って女性の象徴なんでしょう?」

「そう捉える人が多いわね。」
「その象徴の片側を失くしてしまうんだもんね。」
「でも人は、強い。時間をかけて徐々に自分を取り戻してゆく。」
「今回のことで絶望は、ない。
ラグギビーが僕の人生の一部であったことは確かだけれど
いずれは、引退の時が来ると覚悟をしていたから。
絶望って未来に希望を見出すことの出来ない状態。
僕には、たくさんの希望がある。」
諒子さんの瞳を見入る。
「あなたもその希望。」と言いたかったが目だけの訴えで止めた。

「僕は、3・11の時に絶望というもの感じました。
あの時から世の中で自分に出来ることは、何だろうと考え始めました。
そして結論がナショナル・ミニマム社会を作るに辿り着きました。」
「最低の生活を保証する社会ね。」
「自由主義から新自由主義へと舵を取ってきた日本が
行き着いたのは、大きな格差の出る社会だった。
そして、自然との共生。」

「今のままでは、貧富の格差が大きくなりすぎるばかり。」
「個人の才覚で金持ちになることを悪いとは言わない。
 でも1%の人間が7割の資産を独占している現状はどうなんだろう。」
「80%という数字もある。
 能力ある子供が貧乏から教育が受けられない。」
「そうした問題を解決してゆこうと思う。」
「幸いに私は、経済的な不安のない家庭で育ったけれど
 身近に苦学生が居るわ。生活のためにアルバイトに時間を取られている。」
「到達点は、定まったけれどどんなスタートを切ったらいいのかを考えてきた。」
「そうね、」
「もう少し先だと思っていたからその思考を急速に回し始めた。
 暫くは、国会議員の秘書をする。」
「当てはある?」
「大学ラグビー部の大先輩、保守系で清廉だという評判の代議士」
「実力は?」
「評価としては、高い。
 けれど村づくりが苦手で当選回数の多さに比例せず大臣経験なし。」
「なぜ与党保守?」
「政権というものを身近で観察できると思う。」
「政治の進め方を学ぶには、最適ね。」

「で、秘書に成れそう?」
「これから押し掛ける。」
「産業の問題は?」
「世界からの自立です。」
「どういう?」
「生活の原点一次産業の見直しです。」
「世界的に食料の超不足状態が懸案されているわ。」
実は、日本の国土面積は狭くない。
また土地がなくても作物を効率よく作れる。
国土の周りは、海。
育てる漁業の推進。
森は、国土の守護そして木材の供給源。
コンクリートから木への転換。
燃えなくて腐らない木材の開発。
鉄筋コンクリート並みの堅牢さを持つビル建築方法の開発。
無論全部クリーンが前提。」
「解りました、全面的に応援します。」
「良かった、ありがとう。」

「まずは、そのスタートを切るために乾杯!!」

それから2年後の今日が諒子さんとの結婚式。
そして媒酌人は、僕の仕えているラグビーOBの箕輪 寛一先生
現在73歳。
75歳で引退すると公言している。
その時は、若いお前が俺の看板、地盤を引き継げ。
鞄(金)は、ない。
外の評判通り清廉は、間違いのない事実だった。
既に、後援会の信任は澄んでいる。
集会の度に私の後継者舘林君と紹介もしてくれている。

友人代表の中野が挨拶を締め括り始めた。
「舘林は、筋肉馬鹿ではありません。
むしろ太ももにも脳みそが詰まっているのでなないだろうか
というほど深い思考の出来る奴です。
彼は、ラグビーを引退してから常に口にする言葉があります。
人は、誰にでも幸せになる権利がある。
僕はそれを後押しする。
そのために総理大臣になる。
舘林なら出来そうな気がします。
僕も応援します。」

お終い

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