昨年9月に自転車単独事故で骨折手術。
入院を余儀なくされたときのこと。
入院階のデイルームに備え付けの小さな本棚あり。
暇に飽かして片っ端から少蔵書を読み漁る。
中に山岡荘八徳川家康全集が鎮座していた。
ただ5巻目の一冊だけ。
ページ数が多くて分厚い。
更に途中巻。
普段なら手に取ることがない。
しかし本棚の大方を読み終えて致し方なくその5巻目に手を出した。
内容は、混沌とした戦乱の世が信長により強引に平定されてゆく頃。
そこに家康も強く関係していた。
時代の流れや人の織りなす人間模様に興味を抱かされた。
これがきっかけで退院してから全13巻を今冬に五か月かけて読み終える。
自分は、日本史の概要だけでも知識していなかったことを省かえりみる。
以来今年は、室町時代辺りまで手を拡げ読書している。
本は、識しらないことを学ぶきっかけになる。
ゴロツキという漢字があった。破落戸と書く。
中国が語源で生活が破滅、破綻し故郷を落ちなければいけなくなった様。
ならずものとも読む。
ハラクコの読みもあり。
ならず者は、成らず者とも書く。
でかいガタイ。
身体の大きな者をそう表現する。
それが、大きなガカイと小説に記されている。
間違い?
ガカイは、建物の大きさを指すポルトガル語であるらしい。
1600年代のポルトガル辞典にGacaiと書かれているそうな。
1600年の日本は、関ヶ原の合戦があった年。
徳川家康が天下統一の礎を築いた年にもなる。
ヨーロッパからの交易人が江戸でも活動もしていたという。
外国語が庶民にも使用されたのは想像の出来る話。
人も建物になぞらえて大きなガカイと表現したのだろうか。
ガタイは、Gacaiの誤った使い方なのか?
インターネット検索してみると2000年以降の辞典に現れてきたそうな。
裏社会でよく使われる隠語の類ではないか?という説が有力。
となれば、ガカイが元になるのだろう。
ニッコリという言葉に漢字があることも識る。
ふりがな文庫によれば
そう読ませる漢字の中で一番が、莞爾。
本来は、カンジと読む。
漢字OK辞典を見る。
莞は、古く格式ある屋敷に住まう土地の権力者で人格者を表す漢字というところか。
爾は、対話する聞き手を意味するという。
あわせて莞爾は、ほほ笑む財政豊かな人格者。
その莞爾かんじをニッコリを読ませていた。
今回のメインは、石高こくだかについて。
時代物には、必ず加賀百万石などという藩の規模が示される。
この石こくが米量の単位であることは理解している。
が、その嵩かさを知らない。
徳川家康の小説に太閤検地が著されていた。
税:年貢を徴収するためにその土地の面積を把握する。
年貢の基礎:面積を測量検地した。
これまでは、俺でも説明が付けられる。
検地は、戦国時代の中期1400年代から
各地の大名が自らの領地から租税するために始められる。
それ以前は、
公地公民制で土地と人民は、天皇の物。
田畑を農民に貸し与え祖税。
そののち人口の増加に伴い農耕地拡大のため皇族以外の農地所得が認められる。
それを荘園と読んだ。
荘園は、次第に豪族や名主の勢力拡大の基になる。
豪族や名主は、さらに成長し強固な武力を有し各地域の支配者へと成り上がる。
一日に必要な食料は、概ね米三合。
そして三合の米は、一坪から収穫されたことを識る。
さて一坪をどう算出したか?。
中国では1000年代に身体尺:歩幅で面積を算出したことから
面積を歩と表現した。
二歩幅平方を一歩という面積の単位とした。
中国から伝来した一歩:イーポー。
日本では、ヒトツホと読む。
ホが濁ってボ。
変化して一坪となったらしい。
事の始まりは,、本当に歩いた歩数で面積を算出したかもしれない。
が、それでは当然精度が低く測量に当たる人によりばらつく。
必然物差しで測量することになる。
検地には、検知竿。
間けん竿とも呼ぶ。
一間長さ竿と二間竿の二本を使用。
検知竿もその単位により定めた。
但し、いつの時代も為政者は自分の都合で法を敷く。
検地竿の長さ:一間は以下のように変化した。
明治24年以降一間は、六尺と定めた。
尚、検知に使用した一間の単位は、日本独自なのだそうな。
秀吉以前の検知竿一間長さ:6尺5寸。
秀吉変更検知竿一間長さ:6尺3寸。
徳川幕府の時代になると更に短くなって
検知竿1間長さ:6尺1寸。
年貢を多く徴収したく秀吉更に家康は、田畑の面積を小さく検地した。
一間は、1.8181818m。
約1.8m
尺貫法歴史
長さの基は、黒キビ。
一粒を一分として長さの基礎としたが、時代や国により若干の相異が生じている。
尺貫法は日本のみの呼称。
アジアの広範囲では、尺芹法。
日本の単位。
一分:3.0303mm。
一寸:一分×10:30.303mm
一尺:一寸×10:303.03mm:30.303cm
一反とは?
一間平方を一坪。
坪の30倍で畝せ。
つまりは30坪。
畝が、人の一月分の米が収穫できる。
畝×10=反=300坪。
豊臣秀吉は、一反の大きさも変えている。
秀吉以前
一反:360坪。
秀吉以前は、一反を畝×12ケ月と算出していた。
反は、一年分の食料が獲れる田んぼ面積になる。
反の10倍で町となる
町は、3000坪。
その一反から得られる米:反収は、約2.5俵。
換算すると1000合。
1000合:100升:10斗:一石。
これが人一年分の米。
一石とは、米獲高2.5俵で1000合の事だった。
そして一反の田んぼということにもなる。
だがちとまて、1000合を3合:一日の米で割ると333日。
365日に足りないべ。
確か当時使用していた陰暦でも一年は、360日だった。
333日では一年を賄えないぞ。
差し引き27日分は、どうする?
太閤検地は、このような矛盾を実行していたことになる。
なぜ?
秀吉以前の租税は、惣村で行われていた。
惣村は、農民の共同組織。
年貢の徴収も米ではなく貫高制。
貫は、千文の通貨単位。
田の収穫高を貫:貨幣換算して税徴収していた。
しかし、
現代の1万円の値段を10円玉で千枚で支払うようなもの。
これでは、銭が嵩張り過ぎる。
多量の銭作りも難しい。
そこで現物の米で租税することにした。。
秀吉は、土地の所有を組織から個人に移した。
実際に耕作している農民にその土地の権利をもたせた。
石高も条件の変化で大きく違いが出る。
田畑4等級格付け
上・中・下・下々も行う。
一反から獲れる米量に大きな差異が出た?
のではなかろうか、と考えた。
そこで一反360坪を300坪と変更したのではないか?
これは俺の当て推量。
いや、年貢を多く徴収したく秀吉更に家康は、田畑の面積を小さく検地した。
こっちのほうが正解か?
では実際に当時の米の収穫量は?
収穫量を石盛こくもりと称し玄米での嵩を指す。
その量の計測は、京枡に統一し使用させた。
秀吉の時代の年間石盛:斗は、一石の1/10。
上田 3.75俵:一石五斗:225Kg
中田 3.25俵:一石三斗:195Kg
下田 2.75俵:一石一斗:165Kg
下下田 2.25俵:九斗:135Kg
こうしてみると効率の良い田は、少なかったのだろう。
調べた限りでは、平均で一反の石盛は、2.4俵と推理している。
尚、現代農法ではこの当時の3~4倍の収穫高があるという。
つまりは、一坪から9合~12合獲れることになる。
ついでに田んぼ一枚を調べてみた。
土地の狭い山間などは別にして平野に田を作るときに一枚の大きさは?
一反の単位で畝うねをまわす。
そうか、田んぼ一枚は、一反の大きさなんだ。
年貢は、一反当たりこれこれを納めなさいと言うことになる。
租税額
二公一民
一応は、収穫高により農民と話し合いを行うとした。
が、決裂の場合は、為政者が2/3を徴収すると法制。
その他に夫役と称して直接労働の強要あり。
戦時にあっては、足軽として軍役もあり。
これで漠とした長年の疑問が氷解した。
加賀百万石とは、自治している土地の石盛で、
単純に言えばその土地で百万人が養えた。
そして加賀の前田藩は、約六十七万石の税収入があったということになる。
それにしても2/3の税率:66.66%の課税は、高い。
と思ったのだが。
なんと
日本は、世界で二番目に税金の高い国であるという発表がある。
ABCニュースポイントをソースに新会社設立.JPが記事にしていた。
これの5位までをコピーする。
一位 アルバ
法人税28%・個人税(所得税)7~58.95%・売上税1.5%
二位 日本
法人税38.01%・個人税・15~50%・給与税25.63%・
消費税8%
三位 英国
法人税40%・個人税55.9%・給与税3.8%~15.3%・
消費税0~11.725%
四位 フィンランド
法人税20%・個人税7.71~61.96%・給与税20.64%・
消費税24%
五位 アイルランド
法人税12.5%・個人税40%・給与税・0~11%
消費税23%・サービス税9~13.5%
以下10位までのランキングのみ
六位 スェーデン
七位 デンマーク
八位 オランダ
九位 ベルギー
十位 オーストラリア
日本を除いて高福祉国が多くランキングされている印象。
取りやすい処からとる政治、そして無駄の多い事業が見て取れる。
記事には記載されていないので日付が分からないものの
日本の消費税が8%となっているので
2019年9月30日以前の話になる。