2019年10月2日水曜日

小説 Lugh ルー 17

目標が、定まる。

8月10日、兄二人が揃って帰省した。
長兄が寛至ひろし、次兄が雅斗まさと。
寛雅蕗カンガルー兄弟が久しぶりに揃った。
家は、一気に賑やかになった。
そして手狭に。
二人も標準を軽く越える上背がある。
背の高い5人が揃ったのだから狭いのは、当然のこと。

今は、僕専用の部屋になっている子供部屋は、一気に窮屈な空間になった。
母は、おばぁちゃんの使っていた今は客用の和室に寝たらいいと提案した。
これから兄弟三人で寝ることなど、何回あるだろうか?
と自分たちの部屋だった子供部屋で寝ることを選んだ。

部屋で3人だけになった時に僕の怪我のことが話題になった。
僕は、「光榮高校の野球部白石、イケメンの変顔、蛸の剛球」
というタイトルのインターネット動画を見せた。
全部真っすぐで三者連続三振、凄いなぁ。」
「実現させてたのか~。」
蛸口やってるなぁ。」
「ルーの癖だもんな。」














「これが出来たからピッチャーに未練がない。
他の競技で世界を狙うことにした。」
「おっ!世界か。」
「ルーなら世界という言葉に現実味がでる。」
「自然に受け入れられる、応援するぞ。」
「ありがとう。」
「でも続けようという気は、全くない?」
「ない、とは言い切れない。」
「そうだよなぁ。」
「小さい時からずっとトレーニングを積み重ねてきたんだもんな。」
「でも理想の球を投げるためのフォームを取り戻せない。」
「ルーなら打てない真っ直ぐに拘らなくても十分一流になれる。」
「それでは、面白くないじぁない。」
「一流の中の一流がいい。」
「そうだな、ルーにはそれだけの素質がある。」
「そこに挑戦、おお~っ!!」
三人で声を合わせた。
母が「大きな声で騒いじゃだめよ。」
「は~い。」





「今,光榮高校の自転車競技部の3年生先輩に挑戦状を出してあるんだ。」
ここまでの経緯いきさつを説明した。
全国的にも注目をされている光栄のエースなんだ。」
寛至兄が、「そのことかな?」
「なに?」
「それっていつ?」
「夏休みが終わってからということになっている、まだ日程は未定。」
「もしかしたら10月の体育の日かもしれないな。」
「なんだそれ?」

「今回千歳空港で高校の先輩に遇ったんだ。
その先輩は、TV局に勤めている。
10月に光榮高校のイベントがあってその担当組なんだって。」
「それで?」
「なんでも自転車競技部主催で大規模競技会を催す、その中継をするらしい。
白石の弟が野球部だったんじぁないかって聞いていた。」
「そんな話初めてきくなぁ。」と僕。
自転車部の同級生に明日でも電話してみるよ。

高橋君に連絡してみる、
「高橋君、僕のチャレンジの日程決まった?」
「ああ、実はさぁ。」歯切れが悪い。
「どうしたの?」
「夏休みが終わってからの休みの日で進めていたんいたんだけれど、
監督がそれを聞いて10月のイベントに引き込めっていうことになって。
白石君は、承諾する?」
「10月のイベントってTV中継があるんだって?」
「そう、知ってたの?」
「噂を聞いた。
僕は、夏休み後で調整してきたけれど
その後と言うなら全然かまわない。」

「監督は少しでも話題性を増やしたいらしくて。」
「それならプレート摘出手術を終えてしまえるだろうからすっきりと望める。」
「よかった、ありがとう。」
「細かなことは、学校が始まってから伝えるよ。」

兄の話は、本当だった。
一高校のイベントをTV中継するなんて少し不思議がある。
でもそうなんだろうな。


「家にいるうちに三人で走ろうか。」
「いいね。」
「やっぱ海かなぁ?」
「そうだな、積丹しゃこたんか?」
「キャンプしよう。」
兄弟三人で初めてのキャンプツーリングをした。
父との旅も楽しかったけれど兄たちとの走りは別物。
泳いだり、BBQをしたり、花火をしたりはしゃぎっぱなし。

二人とも高校までは、運動部に所属していた。
が、大学では運動は趣味として続けているだけらしい。
僕が一番早い。
「ルー、速くなったなぁ。」
「自転車で世界狙うのがいいかもな。」

「自転車ってヨーロッパで生まれて進化してきた。
だから仕様が日本人向きになっていない。
体形の違う日本人には不利なスポーツとも言われている。」
「ルーの体形ならロードバイクのトップが可能だぞ。」
「悪くないかも。」

「まだ16歳、されど16歳ってオヤジが言ってた。」
「日本は、ロードレース自体まだまだマイナー。
「ヨーロッパでは人気がある。
そのメジャーな大会でトップを獲った選手がいない。」

「そこを目指すには、いろいろな関門が待ち受けいる。」
「能力だけでなく人種の問題だってあるかも。」
「そんな難題をクリアしてゆくためには、いろんな準備が必要ってことだな。」

「自転車になるかどうかは、もう少し先にする。
ただ下半身強化は、どんなスポーツでも基本なのだから
今は、土台作りとしてしっかり自転車に取り組むよ。」


早坂先輩越えが10月だとすると夏休み中にプレート除去をしたい。
医者に相談をした。
少し早いけれど若くて回復も早いのでいいだろうということになった。
鎖骨は、動きの中で大きな負荷がかかる骨ではないことも幸いした。
お盆過ぎに入院で摘出してもらうことになった。

手術前日に入院して翌日午前中に手術。
前回経験しているので恐怖感は、薄らいでいる。
でも気持ちのいいものではない。
看護師さんが聴診器で診てくれた。
「胃が動き始めたから水を飲んでもいいよ。」

手術を終えた最初の水が美味しい。
炎症しないように三日間一日2回抗生物質の点滴をした。
問題がなければ入院から5日目に退院。
使用していたプレートは、記念に貰った。
意外に重量感があることに驚いた。

同室の人が居た。
鎖骨骨折手術と肋骨骨折の治療。
祖父と同年配のようだ。
「白石さん、お腹空いているでしょう。煎餅食べる?」
孫ほどの年齢差の僕にさん?
少し変わった人のようだ。

手術で朝と昼を抜いている、お腹に入るものならなんでも欲しい。
「はい、いただきます。」
2枚もらい食べた。
黒豆入りの固い醤油味煎餅。
煎餅を割る振動が歯から頭蓋骨に響く。
焦げた醤油の香りが広がる。
甘辛な味が沁みる。
その食感が術後の心に潤いを運んでくれた。

「やっぱり若いっていいね。」と渡辺さん。
食事や看護師の検温などの時に名前を申告させられる。
渡辺さんと名乗っている。
「?」
「看護師が浮き立っている。」
昨日入院してから直接の担当看護師以外にも
数人が僕に声を掛けてくれたことを指している。
「再入院だからですよ。」

渡辺さんは、自転車の転倒で怪我を負い僕と同じように
鎖骨骨折のプレート固定手術をしている。
骨折部分が斜めに大小三つに断裂していた。
プレートのボルト固定以外にワイヤーを巻くことも考えられたが
ボルトだけで固定出来たのだという。
接着断面が複雑だから無理せずに
時間をかけて回復させるようにと言い渡されている。

僕の鎖骨は、真ん中近くを綺麗に二つに断絶。
骨折断面が小さい分回復も早い。

渡辺さんは、医者に頼み込んで一週間早く退院が決まった。
好きな北海道コンサドーレ札幌の試合を観たいのが一番の理由らしい。
この年何回目かのJ1昇格。
が、試合に勝てない。
夏ですでに最下位街道まっしぐら。
まもなく早々に降格が決定すると言われている。
今が、将来へと続く。
今がボロボロでも見ていたいと言っていた。

「院内をウォーキングする以外に何もすることがない。」と渡辺さん。
鎖骨手術一週間後の今週は、自ら下半身のリハビリをしているようだ。
ウォーキング後に片足立ちを繰り返してもいる。

同じ日に退院が決まりコンサのライブ中継が自宅で観られると嬉しそう。
渡辺さんは、午前中に退院する。
私服に着替えた渡辺さん。
七分丈のパンツからふくらはぎが覗いている。
筋肉が見事に張っている。
「スポーツマンですね。」
「動かないと死んでしまう、マグロ体質」
「白石君は、光榮高校のピッチャーでしょう?」
「はい、いま休部してます。」
「有望な選手だとマスコミ報道されていたから知っていたよ、戻れるの?」
随分核心を突いてくる。
「判りません。」
「まだ16歳、されど16歳。
若いからやれることは、多い。が、少なくもある。」
父と同じことを言っている。

「将来をあれほど嘱望された逸材。
間近で見るとなるほどでかくてバランスのいい体をしている。
頭も良さそうだ。
なにをやっても一流になれるだろう。
陰ながら応援するよ。」
「ありがとうございます。」

下半身強化のためにロードバイクをやっている。
10月の体育の日に光榮高校の自転車競技部のレースに参加すると告げた。
「それは楽しみだなぁ。
必ず応援に行くよ。」
自宅までの約6kmを歩いて帰るという。
前日奥さんに荷物を引き上げてもらっていた。
身軽な恰好で病室を後にしていった。

僕は、今回もホッチキスで縫合。
中を糸で縫って表面を絆創膏留めする方法もある。
傷口が目立たなくになるらしいが治りの時間に差が出る。
早く治す方を優先させた。
手術から10日後に通院して針を抜く。
傷口に無理がかかると開く恐れがあるので患部を絆創膏で横に渡し張り合わせた。
2週間は、傷に負担をかけないように。
ボルトの穴も埋まるまで3ケ月はみたほうが良い。
無理をしないように言われた。
1週間後通院の予約が入れられる。

早坂先輩越えは1ヶ月半先のこと。
しかも自転車は、鎖骨に負担のかかる運動でなないので問題なし。
ただ、医者にはそのことを言わないでおく。

プレートにテングスでボルトを吊るして机の角に架けた。
指ではじくと風鈴のように細い透明な音がする。

2学期が始まっている。
リュックは、右肩に架ける。
教科書だけなので片掛けで問題ない。
9月の10日過ぎまでは、ロードを控えた。
但し、トレーニングは欠かさない。
ローラーを回した。
おばぁちゃんの和室に薄い板を敷いてもらった。
その上に固定ローラーを置いて自転車をセットする。
9月に入ってもまだ暑い日が残る。
風がないと汗地獄になる。
汗の滴り落ちるハンドル周りにバスタオルを置く。
板の上に乾いたぞうきんを置く。
東と南の窓とドアを全開にしてぶん回す。

高橋君から自転車競技部のイベント詳細を聞いた。
学校の企画だという。
日本は、世界に比べるとロードバイクの人気が低い。
だから競技人口が少ない。
選手層の厚さが強い選手を生む。
光榮高校から世界で戦える選手を育てたい。
ロードバイク育成に大きく特化した高校は、無いに等しい。
光榮高校が、その先駆けになろう。
施設の充実は無論のこと指導者も国の内外から招集する。
日本のロードバイク界の梁山泊たらん、が目標だという。

冬季のトレーニングは?
今は、室内で高度なトレーニングができるマシンが開発されている。
それだけでなく反対に雪を利用した
クロカンスキーでのトレーニングなども有効と考えている。
冬のMTBも取り入れる。
パワー強化、バイクコントロール強化が見込める。
MTB出身のロードレーサーの活躍がみられるのは、
そうした総合力が自然にトレーニングされるから。

ロードバイクも含めてマシーンは、部が揃えて貸与する。
結構な資金が必要とされる。
学校側の熱意が伝わる。
それは、少子化時代における学校の生き残り策でもある。

他の運動部で故障などで部活を
断念せざるを得ない生徒も途中から受け入れもする。
メンテナンスの部員も育てて行く。

北海道は、観光の目玉としてのロードバイク人気が出来つつある。
そこに光榮高校出身者のロードバイクスペシャリストを
観光受け入れ側スタッフとして送ることにも繋がる。

幸いすぐそばの豊平川河川敷のサイクリングコースは、
クロカンスキー平坦コースにもなる。
河川敷に集められる排雪の山を利用して
アップダウンのMTBコースを造成するのだという。

TV中継をして光榮高校の注目度をアップさせる。
具体的には?
有力高校の大会招待。
一日で10kmのTT(タイムトライアル)競技と100kmのロードレースの
二つのレースを予定。
実施日は、10月の体育の日。
TT優勝ポイントが15点。
100km優勝ポイントが25点。
その合計点35点を競う。

僕は、奮い立った。
この大会で早坂先輩だけでなく全国の高校生競技者と競うことが出来ることになる。

しかし、速い、強いだけで優勝できるのだろうか?
各高校は、チームとして走ってくる。
僕は、自転車部の部員ではない。
ゲスト参加となる。
つまりは、単独で戦うことになる。
どうしたらいい?
南海さんに相談した。

「10kmTTと100kmロードか、コースは?」
「ロードは、豊平川河川敷右岸サイクリングコーススタートで
真駒内~駒岡~滝野峠~里塚霊園~西輪厚で折り返して同じ道を復路。」
高橋君からもらったコース地図を見てもらう。
「起伏の多いコースになるねぇ。
「10KmTTは、河川敷の緩い登りだね。」
「優勝するにはどうしたらいいでしょう。」

付きっ切りは出来ないけれど僕のスケジュールに従えますか?
ここは、メカだけでなくエリートレーサーでもある南海さんに下駄を預けることにした。
「お願いします。」
「よし、コーチ役を引き受けましょ。」

二人の兄は、9月になって茨木へ戻っていった。

大会中継TVの録画をCDに焼いて送るように言いつかる。

18に続く


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