この日は、中学陸上の北海道大会がある。
朝忘れずに戸田さんに激励メールを送った。
結果は?
午後にメールが入っていた。
優勝!!
凄い、陸上を始めて4ケ月なのに女子1500m全道優勝。
おめでとう!!と返送した。
ゴリのほうは、決勝を僅差で敗れて甲子園出場は叶わなかった。
ただ自身の成績は、これも又素晴らしい。
出塁率は、9割を超えた。
特に四球での出塁がその6割を占める特異性。
三振が極端に少なく粘りに粘る。
最後は、四球で出塁する。
若しくは、鋭いスィングで野手の間を抜く単打。
ぼてぼてでもセーフにしてしまう足の速さ。
次は、盗塁。
この盗塁成功率も驚異的で100%を達成。
ゴリがバッターに立つとほぼ2塁までは進塁する形。
全国の野球関係者とファンの注目を集めている。
1年生でこの記録。
高校の3年間でどんな記録を残すのだろう。
初めての知床は、北海道の中でも異質と思えた。
北の地なのにトロピカルな雰囲気を持つ。
いたるところに野生動物たちの姿を見る。
もちろん日本で一番大きな体を持つ羆ひぐまの姿もある。
前日知床峠からウトロへ下り始めると霧が晴れてきた。
羅臼側から立ち上る霧は、峠の山頂付近から霧散する。
知床半島にそそり立つ羅臼岳ほか知床連山が、
南側と北側とを別の気候帯に分けている。
ウトロ側は、夏暑く冬は寒い。
羅臼町は、その逆となるという。
知床峠は、冬に深い雪で覆われる。
夏季限定で通行可能となる。
ほぼ峠を下り終えて後ろを振り返った。
ウトロ側から見た羅臼岳と連山 |
乾燥した空気の中に連なる山々が見えた。
神々しいと思った。
この山の向こうは、霧が立ち込めていることが信じられない。
昨夜は、国設知床野営場でキャビン泊。
キャビンは、小さな木製小屋で持参の寝袋で就寝。
翌日の今日、父は午前9時台の都市間バスで札幌へ帰っていった。
夕方には、札幌に着く。
父を見送り僕のソロサイクル旅行が始まる。
お盆に兄たちが帰省する。
8月の10日だと聞いている。
それまでには、僕も旅行を終えようと思う。
翌日のは、紋別市までの180kmほどを走る予定。
キャンプ場の中でサイクリストと知り合う。
荷物なしサイクルツーリズムを利用しながらの旅行中で
昨日一日知床を観光したという。
朝、彼と再び出会う。
網走に向かう。
では網走まで一緒しましょうということになった。
※注.荷物なしサイクルツーリズムは、架空の企画です。
アップダウンは、ほぼなし。
僕の旅行は、4日目。
脚を休める日。
彼の脚力に合わせて走る。
軽快に無理のない走りで終始した。
牧草の緑が広がっていた。
麦畑の穂が黄金色で輝いでいた。
オホーツクの空は、抜けるように高くそして澄んでいる。
オホーツク一帯では地域のカラーを打ち出している。
オホーツクブルーと称する。
空だけでなく海や流氷、アイヌ染、アイヌ玉など
では網走まで一緒しましょうということになった。
※注.荷物なしサイクルツーリズムは、架空の企画です。
アップダウンは、ほぼなし。
僕の旅行は、4日目。
脚を休める日。
彼の脚力に合わせて走る。
軽快に無理のない走りで終始した。
牧草の緑が広がっていた。
麦畑の穂が黄金色で輝いでいた。
オホーツクの空は、抜けるように高くそして澄んでいる。
オホーツク一帯では地域のカラーを打ち出している。
オホーツクブルーと称する。
空だけでなく海や流氷、アイヌ染、アイヌ玉など
幅広く色の指定をしている。
この地域のブルーが印象的であることの証。
緑と黄金色と空と海のコントラスト。
その中をバイクは、走る。
爽快。
一緒をした人は、名古屋在住で30歳だという。
トモさんと名乗る。
大友が変じてトモとあだ名されてきたと言う。
僕もトモさんと呼ばせてもらう。
就職していたけれども仕事が楽しくない。
キツくても楽しいと思える仕事がしたいのだという。
現在就活中であこがれていた北海道を走るのは、
今しかないとスタートさせたそうだ。
「荷物を持たずに走ることのできる軽快さは、特別だ。
心が自然に踊ってしまう。」と言う。
僕も同意する。
右に海を見ながら平坦な国道をひた走る。
町と言えるような集落がほとんどない。
自然の中を潮風を感じながら進む。
ウトロを出て2時間弱で斜里町が見えてきた。
それから1時間弱でJR釧網線の駅で無人の小清水原生花園駅。
原生花園への客のためにある。
この駅舎で写真を撮りたいというので足を止める。
オレンジや朱赤、黄色、白、とりどりの花々が緑の上に開花している。
車での来場者も多く賑わいを見せていた。
ついでに観光客用の施設HANAで昼食。
トモさんは、「北海道いいね。」を連発している。
人が居ないのがいいとか空気がいいとか空が広いとか。
これが北海道と言う人がいる。
僕だとこれも北海道だと思う。
名古屋に行ったことはないけれど200万人を超える大都市。
そして隣町が切れることなく隣接して繋がっているという。
「人だらけなんだ。」
少し落ち込んでいたのかなぁ。
トモさんがここを見て行くと言うので別れる。
北海道を旅する人たちにも多数出会う。
大きな荷物を自転車に括り付けた人が多い。
荷物を持たずにサイクルツーリズムを知っていても利用しない人は、
旅行費用の節約のためだという。
確かに長期の旅では、出費が嵩む。
荷物のない快適さは、代えがたい。
だが、大きな重い荷物を積んで走るのもそれはそれで楽しいのかもしれない。
僕もこの日から節約モード。
宿泊は、基本道の駅にすることに決めた。
夕方5時に営業が終了する施設が多いので、そのあと建物の軒下にテントを設営。
24時間開放のトイレがあるし日帰りの温泉も大体は、施設内や近くにある。
サイクルウエアは、乾きやすい。
お風呂でざっと洗ってテントの外に吊るしておく。
コインランドリーが設備されている日帰り温泉もあった。
そんな時は、ありがたい。
ミーマーは、僕にカードを持たせてくれた。
クレジットの家族カードは、18歳未満は発行不可。
デビットカードという種類。
これで大抵の支払いを澄ませることが出来た。
普段は気にしたことがないのだけれどこうして
旅行費用を使わせてもらうと親のありがたさが理解できる。
現金が必要な時は、郵貯ATMを使う。
この日の泊りは、紋別市。
ウトロから175km。
アップダウンがない分さらに楽な行程。
荷物を受け取り6時前に紋別市の道の駅に到着。
ここは、冬に流氷を体験できるガリンコ号が運航している。
この日で北海道一周の三割くらいだろうか。
4日で三割だと順調なら後8日くらい、全部で12日で終了となる。
少し余裕を見て2週間、十分に兄たちの帰省する日までには帰ることができる。
今回の旅は、初めて一人で過ごす日々となった。
紅白試合のアクシデントで鎖骨の怪我。
肩の投球角度が狭くなってしまった。
この角度では僕のイメージする投球ができない。
打てない真っ直ぐを投げる投手の道が途絶えた。
本当は、リハビリで復帰できるのかもしれない。
だが、気持ちの方が沸き立たない。
少しの間でもその球が投げられた事も復帰への意欲が沸かない理由。
満足がそこにあった。
16歳の僕には、大きな可能性が残っている。
自分を見つめる時間、そして気持ちを晴らす時間として北海道一周を勧めてくれた両親。
違う道で世界を目指したい要求が湧き出した。
それも日本人がなしえなかった部門だったらとも思う。
僕には、そこを目指すだけの素質を両親から受け継いでいると思う。
高校に入った時の身長は、188cm。
まだ4ケ月ながらまた少し伸びているような気がする。
多分190cmは、間違いなし。
歩き始めたころすでにキックバイクに乗っていた。
遊びながら脚力が備わっていた。
いままで短距離走で同年代に負けたことがない。
兄たちのおかげで動体視力も鍛えられてきた。
スポーツに必要なのは、運動を支える筋力とそれを表現する運動脳。
僕には、それがある。
もう一つ、飽きないという特性もある。
目標が定まればそこに毎日集中していける。
その目標が、今はまだわからない。
ただ、目の前には高校の自転車競技部の早坂先輩との勝負がある。
まずは、ここを勝つために残った日々を費やそう。
鎖骨のプレート摘出まであと一月を切った。
普段の生活の中で違和感はない。
が、冷房の効いたコンビニに入るとプレートが反応する。
鎖骨に最初に冷たさを感じる。
反対に熱めの風呂に浸かるとプレートが熱を感じる。
ここにいるぞ、と存在感をアピールする。
骨と金属の熱伝導の違いを知る。
夕立に降られたりする事があったけれど
一日足止めを食うようなこともなく順調にオホーツクを過ぎ
最北端の宗谷岬を通過した。
襟裳岬が歌で何もないと表現されているけれど宗谷岬のほうがよほど何もない。
海に特別な景色があるでなし。
快晴の時には、サハリンが50km先に薄く見えるらしいけれど生憎曇りだった。
僕は無量感が強いのだろうか、最北端というだけの
何もない景色に感慨が沸かない。
紋別市から稚内市までは200km少々。
宗谷岬までのアップダウンがあるけれどそれほどの距離がない。
全体に平坦基調で、ガッツリ走る。
稚内からは、海が違う。
日本海の海沿いを走る。
180km余りを走って留萌で泊り。
黄金岬でキャンプした。
ここの夕景も見事だった。
次の日は、120kmも走ると石狩市。
ここから一度家に戻ろうかとも思った。
でも再出発に気が重くなる可能性もある。
ここは、通過を決めた。
事前にスケジュールを問い合わせてくれた
ゴリと戸田さんが待ち受けてくれて、
「ルー先~輩、お疲れ様で~す。」
「ウィ~ス。」とがゴリ。
「お疲れ様~。」
国道を行ったり来たりしながら僕の到着を待っていたのだという。
コンビニで休憩を入れ暫し歓談。
ゴリが僕と早坂先輩のマッチレースの企画情報を仕入れてきた。
「大掛かりなイベントになりそう。」
自転車競技部創立30周年の記念イベントの一環にするという。
プロに進んだOBも存在する自転車競技部。
全国大会での優勝も数度経験している。
だが、メジャーなスポーツに比べて入部希望は少ない。
この機会に光榮高校だけに留まらず一般にも自転車競技の魅力を発信しよう。
その一環としてスペシャルレースを開催するという。
僕の挑戦もそのレースの中で実施しようということらしい。
面白そう。
戸田さんは、千葉で8月19日中学陸上全国大会がある。
顧問の先生の方が、熱気を帯びているという。
その前に光榮高校の推薦は、確約をもらったとも言っていた。
しっかり者の戸田さんである。
ここからだとあと4~5日ってところ。
「戻ったら走ろうね。」と約束して別れる。
小樽で泊り。
この日の行程は、150kmほど。
こうして4ビートトレーニングを重ねながら北海道を一周した。
大きな峠は、先の知床峠他いくつかあったが荷物なしなのだから楽なもの。
青息で峠を登るサイクリストには、
荷物を持たずに北海道サイクルツーリズムを宣伝した。
いろいろな人に出会った。
一番印象に残ったのは、
「人生やったモン勝ち、楽しんだ者勝ち。」
と教えてくれた初老のおじさん。
新潟の農家だと言っていた。
田んぼの刈り入れ前の寸暇を縫ってオートバイで旅行中だった。
長期の徒歩旅行や登山、そして自転車。
特に北海道が好きでいろいろな手段で楽しんでいるという。
「まだ若いから自分の人生の長さや老後など想像もできないだろうけれど、
私くらいの年になるともうこの先のことが十二分理解できる。
短いぞう。
同じ人生ならやりたいことをやる。
失敗しようと成功しようとそれを楽しむ。
楽しむ人生万歳ってところだね。」
10日目の函館で観光をしようかと迷う。
でももう帰りたい。
あと二泊すれば帰宅できる。
いや、海岸沿いではなく中山峠経由なら1日で帰ることもできる。
220km位か。
長万部~豊浦間に静狩峠と礼文華峠が連続している。
そして中山峠。
大きな峠を三ケ所通過しなければいけない。
でも仕上げには、いいかもしれない。
荷物なしなのだから苦もないか。
荷物は、前日実家宛てに送る。
ホテル宿泊で函館市場で海鮮丼を奢る。
風呂にゆっくり浸かってぐっすり就寝。
朝食サービスを待たずに快晴の中6時に出発。
まだ陽が高く残る夕方4時には、帰宅していた。
連絡しておいたので母が出迎えてくれた。
目を細めて眩しそうに僕を見つめてくれた。
「お帰り。」
17に続く
この地域のブルーが印象的であることの証。
緑と黄金色と空と海のコントラスト。
その中をバイクは、走る。
爽快。
一緒をした人は、名古屋在住で30歳だという。
トモさんと名乗る。
大友が変じてトモとあだ名されてきたと言う。
僕もトモさんと呼ばせてもらう。
就職していたけれども仕事が楽しくない。
キツくても楽しいと思える仕事がしたいのだという。
現在就活中であこがれていた北海道を走るのは、
今しかないとスタートさせたそうだ。
「荷物を持たずに走ることのできる軽快さは、特別だ。
心が自然に踊ってしまう。」と言う。
僕も同意する。
右に海を見ながら平坦な国道をひた走る。
町と言えるような集落がほとんどない。
自然の中を潮風を感じながら進む。
ウトロを出て2時間弱で斜里町が見えてきた。
それから1時間弱でJR釧網線の駅で無人の小清水原生花園駅。
原生花園への客のためにある。
この駅舎で写真を撮りたいというので足を止める。
オレンジや朱赤、黄色、白、とりどりの花々が緑の上に開花している。
車での来場者も多く賑わいを見せていた。
ついでに観光客用の施設HANAで昼食。
トモさんは、「北海道いいね。」を連発している。
人が居ないのがいいとか空気がいいとか空が広いとか。
これが北海道と言う人がいる。
僕だとこれも北海道だと思う。
名古屋に行ったことはないけれど200万人を超える大都市。
そして隣町が切れることなく隣接して繋がっているという。
「人だらけなんだ。」
少し落ち込んでいたのかなぁ。
トモさんがここを見て行くと言うので別れる。
北海道を旅する人たちにも多数出会う。
大きな荷物を自転車に括り付けた人が多い。
荷物を持たずにサイクルツーリズムを知っていても利用しない人は、
旅行費用の節約のためだという。
確かに長期の旅では、出費が嵩む。
荷物のない快適さは、代えがたい。
だが、大きな重い荷物を積んで走るのもそれはそれで楽しいのかもしれない。
僕もこの日から節約モード。
宿泊は、基本道の駅にすることに決めた。
夕方5時に営業が終了する施設が多いので、そのあと建物の軒下にテントを設営。
24時間開放のトイレがあるし日帰りの温泉も大体は、施設内や近くにある。
サイクルウエアは、乾きやすい。
お風呂でざっと洗ってテントの外に吊るしておく。
コインランドリーが設備されている日帰り温泉もあった。
そんな時は、ありがたい。
ミーマーは、僕にカードを持たせてくれた。
クレジットの家族カードは、18歳未満は発行不可。
デビットカードという種類。
これで大抵の支払いを澄ませることが出来た。
普段は気にしたことがないのだけれどこうして
旅行費用を使わせてもらうと親のありがたさが理解できる。
現金が必要な時は、郵貯ATMを使う。
この日の泊りは、紋別市。
ウトロから175km。
アップダウンがない分さらに楽な行程。
荷物を受け取り6時前に紋別市の道の駅に到着。
ここは、冬に流氷を体験できるガリンコ号が運航している。
この日で北海道一周の三割くらいだろうか。
4日で三割だと順調なら後8日くらい、全部で12日で終了となる。
少し余裕を見て2週間、十分に兄たちの帰省する日までには帰ることができる。
今回の旅は、初めて一人で過ごす日々となった。
紅白試合のアクシデントで鎖骨の怪我。
肩の投球角度が狭くなってしまった。
この角度では僕のイメージする投球ができない。
打てない真っ直ぐを投げる投手の道が途絶えた。
本当は、リハビリで復帰できるのかもしれない。
だが、気持ちの方が沸き立たない。
少しの間でもその球が投げられた事も復帰への意欲が沸かない理由。
満足がそこにあった。
16歳の僕には、大きな可能性が残っている。
自分を見つめる時間、そして気持ちを晴らす時間として北海道一周を勧めてくれた両親。
違う道で世界を目指したい要求が湧き出した。
それも日本人がなしえなかった部門だったらとも思う。
僕には、そこを目指すだけの素質を両親から受け継いでいると思う。
高校に入った時の身長は、188cm。
まだ4ケ月ながらまた少し伸びているような気がする。
多分190cmは、間違いなし。
歩き始めたころすでにキックバイクに乗っていた。
遊びながら脚力が備わっていた。
いままで短距離走で同年代に負けたことがない。
兄たちのおかげで動体視力も鍛えられてきた。
スポーツに必要なのは、運動を支える筋力とそれを表現する運動脳。
僕には、それがある。
もう一つ、飽きないという特性もある。
目標が定まればそこに毎日集中していける。
その目標が、今はまだわからない。
ただ、目の前には高校の自転車競技部の早坂先輩との勝負がある。
まずは、ここを勝つために残った日々を費やそう。
鎖骨のプレート摘出まであと一月を切った。
普段の生活の中で違和感はない。
が、冷房の効いたコンビニに入るとプレートが反応する。
鎖骨に最初に冷たさを感じる。
反対に熱めの風呂に浸かるとプレートが熱を感じる。
ここにいるぞ、と存在感をアピールする。
骨と金属の熱伝導の違いを知る。
夕立に降られたりする事があったけれど
一日足止めを食うようなこともなく順調にオホーツクを過ぎ
最北端の宗谷岬を通過した。
襟裳岬が歌で何もないと表現されているけれど宗谷岬のほうがよほど何もない。
海に特別な景色があるでなし。
快晴の時には、サハリンが50km先に薄く見えるらしいけれど生憎曇りだった。
僕は無量感が強いのだろうか、最北端というだけの
何もない景色に感慨が沸かない。
紋別市から稚内市までは200km少々。
宗谷岬までのアップダウンがあるけれどそれほどの距離がない。
全体に平坦基調で、ガッツリ走る。
稚内からは、海が違う。
日本海の海沿いを走る。
180km余りを走って留萌で泊り。
黄金岬でキャンプした。
ここの夕景も見事だった。
次の日は、120kmも走ると石狩市。
ここから一度家に戻ろうかとも思った。
でも再出発に気が重くなる可能性もある。
ここは、通過を決めた。
事前にスケジュールを問い合わせてくれた
ゴリと戸田さんが待ち受けてくれて、
「ルー先~輩、お疲れ様で~す。」
「ウィ~ス。」とがゴリ。
「お疲れ様~。」
国道を行ったり来たりしながら僕の到着を待っていたのだという。
コンビニで休憩を入れ暫し歓談。
ゴリが僕と早坂先輩のマッチレースの企画情報を仕入れてきた。
「大掛かりなイベントになりそう。」
自転車競技部創立30周年の記念イベントの一環にするという。
プロに進んだOBも存在する自転車競技部。
全国大会での優勝も数度経験している。
だが、メジャーなスポーツに比べて入部希望は少ない。
この機会に光榮高校だけに留まらず一般にも自転車競技の魅力を発信しよう。
その一環としてスペシャルレースを開催するという。
僕の挑戦もそのレースの中で実施しようということらしい。
面白そう。
戸田さんは、千葉で8月19日中学陸上全国大会がある。
顧問の先生の方が、熱気を帯びているという。
その前に光榮高校の推薦は、確約をもらったとも言っていた。
しっかり者の戸田さんである。
ここからだとあと4~5日ってところ。
「戻ったら走ろうね。」と約束して別れる。
小樽で泊り。
この日の行程は、150kmほど。
こうして4ビートトレーニングを重ねながら北海道を一周した。
大きな峠は、先の知床峠他いくつかあったが荷物なしなのだから楽なもの。
青息で峠を登るサイクリストには、
荷物を持たずに北海道サイクルツーリズムを宣伝した。
いろいろな人に出会った。
一番印象に残ったのは、
「人生やったモン勝ち、楽しんだ者勝ち。」
と教えてくれた初老のおじさん。
新潟の農家だと言っていた。
田んぼの刈り入れ前の寸暇を縫ってオートバイで旅行中だった。
長期の徒歩旅行や登山、そして自転車。
特に北海道が好きでいろいろな手段で楽しんでいるという。
「まだ若いから自分の人生の長さや老後など想像もできないだろうけれど、
私くらいの年になるともうこの先のことが十二分理解できる。
短いぞう。
同じ人生ならやりたいことをやる。
失敗しようと成功しようとそれを楽しむ。
楽しむ人生万歳ってところだね。」
10日目の函館で観光をしようかと迷う。
でももう帰りたい。
あと二泊すれば帰宅できる。
いや、海岸沿いではなく中山峠経由なら1日で帰ることもできる。
220km位か。
長万部~豊浦間に静狩峠と礼文華峠が連続している。
そして中山峠。
大きな峠を三ケ所通過しなければいけない。
でも仕上げには、いいかもしれない。
荷物なしなのだから苦もないか。
荷物は、前日実家宛てに送る。
ホテル宿泊で函館市場で海鮮丼を奢る。
風呂にゆっくり浸かってぐっすり就寝。
朝食サービスを待たずに快晴の中6時に出発。
まだ陽が高く残る夕方4時には、帰宅していた。
連絡しておいたので母が出迎えてくれた。
目を細めて眩しそうに僕を見つめてくれた。
「お帰り。」
17に続く