そして荷物なしのサイクルツーリズム北海道。
バイシクル札幌のトレーニングでは、いくつかの教えをもらった。
クラスの違いはあるけれど全員レースに参戦していた。
勝利することが目的。
1位を獲りたい。
が、そうはならない。
1位が獲れなくても自身の向上。
今日より明日、日々進化することが目標だという。
何よりレースそのものを楽しんでいるようだ。
そんな人たちと一緒をしても僕は、そこそこは走れた。
だが、抜きんでた存在ではあり得ない。
そこまでの実力しかない、当たり前の結論。
補給食のことを聞き取りしてみた。
エナジーバーと呼ばれる固形とエナジージェルという液体タイプがあるようだ。
液体タイプの方が、吸収が速いようだ。
走り状況により使い分けが必要。
南海さんが「白石君は、オールラウンダータイプだね。」
スプリンターでもあるし総合優勝を狙える素質も持っていると評してくれた。
トラックをやるのかロードレースなのか、
そこを選択してトレーニングする必要がある。とも言われた。
目下の目標は、早坂先輩越え。
当然ロードレースとなる。
まだピッチャーをあきらめたわけではない。
復帰の可能性は、残っている。
現在は、復帰に向けて足腰を鍛えているというスタンス。
襟裳百人浜近辺 |
フィッティングをし終えた後の走りは、次元超えだった。
上体がぶれない、ペダリングが綺麗。
向かい風と喧嘩もしない。
ダッシュしたときに力が足幅一杯に伝わる。
実力がアップしたのではなく本来の力が
そこに表現出来るようになっただけなのだが、
実力が1割増した気がする。
買った本を開いて読み込んでみる。
解らない。
難しい。
ただ、パワーを目安にトレーニングを
コントロールするという考え方は、理解できた気がする。
高価なパワーメーターは、ないけれど
そこを意識したトレーニングスケジュールを組んだ。
今の僕は、持久力とスピードをより高めること。
トレーニングの強弱を10段階分けして4日間のサイクルで重ねることにした。
1.やや強い日:7〜8レベル
1.やや強い日:7~8レベル
3.最強の日:8〜10レベル
4.弱く:回復走:5〜6レベル
を基本にした。
超回復期の考え方も考慮したトレーニング。
トレーニング1日目
高ケイデンス2時間走り。
その前に15分間のウォーミングアップと後に15分のクールダウン。
合計2時間30分。
トレーニングフィールドを考えた。
通行量が少なくて思いっきり走れる場所。
決めたのは西輪厚、ゴルフ銀座コース。
短いアップダウンが繰り返しで出現する。
300mの10%急坂もあり。
若干登り基調の10Km近いストレートがある。
ここなら4日間のどの段階にでも合わせられる。
アクシデントが起きたときに自宅に近いことも好条件。
走るのは早朝。
ゴリ達との早朝トレは、止めになる。
明朝走ってからそう告げよう。
「えぇ~っ!!、止めるんですか~?」
やっぱり戸田さんが不満顔。
自転車競技部に勝つためにトレーニングをもっと充実させることを説明した。
「それなら私もルー先輩のほうに行きます。」
「ごめん、ついてこれないと思うよ。」
「ここのところのルーの走りは、超進化しているもんなぁ。
本格的トレーニングだと俺でもついていけないかも。」
不承不承納得してもらう。
7月の最終土曜日に千歳市で中学生陸上全道大会が開催される。
「応援に来てください。」と戸田さんに頼まれる。
「ごめん、夏休みに知床へ行くことになって。」
「来てくれると言っていたじぁないですかぁ。」
「お父さんと一緒なんだろう。」ゴリが助け舟を出してくれた。
「JRや宅配業者の協力で自転車だけで北海道を旅できる企画が始まっているんだ。
父がその仕事に関わっていて実際の運営を実体験するためでもあるんだ。
知床は行きたかった場所だし。
本当にごめん。」
「ルー先輩が怪我をしたこともあるしね。
気晴らしをさせてあげようということよね。
お父さんとならしょうがないか、樂しんできてください。」
「その日なら多分俺は、行けると思う。
夏の甲子園北海道大会予選は、済んでいる。」
「ゴリはレギュラーまで登ったよね、1年生でレギュラーは凄い。
自分の特徴を知ってそこを特化したプレイをしているからだね。
もう少しで甲子園だね。」
「練習が入るかも、」
「その時は、行けないな。」
「いいよ、いいよどうせ私のことなんか。」
「知床から念を送るよ。」
「念じぁだめ、応援メールしてください。」
「了解しました〜。」
単独トレーニングを始めた。
その1と2.
普段の走りは、ケイデンス80~90キープ。
そこを90以上で走れるようにしたい。
高ケイデンスで楽な登坂が出来れば省エネルギーの走りになる。
トレーニングでは110ケイデンスを2時間キープさせる。
こうすることで持久力は、アップするはず。
僅かにキツイ位。
走っていると頬が緩み自然に口が開く。
気持ちのいい走り。
涎が出てくる、口からこぼれて流れそう。
これがそうか、ランナーズハイという領域。
登坂もギアを最後まで使ってでも高ケイデンス走り。
筋肉を思いっきり張るわけではないのでカロリー消費は、少ない。
スピードより持続力向上。
1を実際走ってみると軽いダメージであることと
走り自体が気持ちがいいことで2も1の連続にした。
その3。
最強トレーニング
1.の走りにダッシュをはさむ。
千切りられそうな時や引き離し、ゴールなどを意識して
インターバルトレーニングの繰り返し。
ダンシングを交えて筋肉を目一杯に張る。
ハムストリングは、勿論のこと大殿筋や内転筋、背筋が悲鳴を上げる。
4で完全休養することも考えたが追い込んだ次の日は、
軽く筋肉を動かしてリフレッシュさせた方がいいらしい。
1に戻った時に体調を計りながら時間や質を変化させる。
この4日間サイクルで回してゆく。
このサイクルで夏休みも過ごそう。
チャクラおじさんに遇ってからたまに不思議が見える。
人の後頭部辺りに影が見えたり色の付いた光が見えたり。
ある日帰宅したときに買い物帰りの隣のおばさんに出会う。
「こんにちは~。」
「ルー君、久しぶりねぇ、また大きくなってない?」
その声は、弱弱しい。
首の辺りに深い暗い影が射していた。
死期が近いのではとなぜか直感した。
「ルー君、肩の様子はどう?大変だったわねぇ。」
「はい、ありがとうございます、順調です。来月に金属プレートが外れます。」
「怪我が人生の転機になることが多いもの、よりいい方向に変わるといいわね。」
もう一度「ありがとうございます。」と礼を述べる。
「どこか病んでいるのですか?」と言いかけて止めにした。
それを聞いて僕がどうにか出来るわけではない。
チャクラおじさんの言う余計なものと言うのはこれのことなのだろう。
人は、死ぬために生きていると聞いたことがある。
人の生き死には、致し方のない事。
「ルー君が、世界のルー君になる日が来た時に自慢したいの。」
おばさんが僕に握手を求めてきた。
少し照れ臭いながら気持ちを込めて元気のエネルギーを送った。
小さい頃よくお世話になった。
母より一回り上の50歳台、まだまだ若い。
病気が快復するといいのに、
「僕、世界のルーになりますから。」
「ルー君の手大きくて温か、とても気持ちがよかったわ。ありがとう。」
何もできない自分が恨めしくなる。
母におばさんに元気がなかったと話をする。
一度検査入院して手遅れと診断され自宅療養していたのだという。
おばさんは、まもなく再入院して一月後に急死。
すい臓癌だったという。
これ以来僕は、その目に蓋をした。
7月24日夏休みが始まった。
火曜日のこと。
次の日の25日朝から父と知床へ向けて旅立つ。
荷物は、小さなサイクルバックのみで自転車に取り付け。
大きな荷物は、近くの宅配便に前日預けた。
25日の到着は、様似町で180kmの沿岸コース。
北海道全域を「荷物を持たずに自転車旅行」が最終目的。
最初に北海道の外周を荷物なしサイクルツーリズムをスタートさせた。
朝7時受け付け開始で9時までにJR駅や宅配業者に荷物を預ければ
200km以内なら午後5時までに目的地の駅や宅配業者の営業所に届いている。
各駅や宅配業者に用意した専用BOX1個で1回600円の料金。
BOXに入れられれば何個入れてもいい。
僕の荷物は、大きなリュックとテント。
父は、20Lリュック1個。
そのBOXには、ホイールを外して自転車も入れられる。
雨などで走りたくないときなど旅行を続けたいときに便利だ。
その場合は、油汚れが付かないように大きなビニール袋も用意されている。
何度でも繰り返し使用出来る丈夫な袋。
JRのある区間なら自転車をそのまま車両に乗せられるようにもなっている。
客席車両の隅に荷物スペースを作ってある。
父は、4泊5日する。
知床からの帰りは、都市間バスで輪行する予定。
僕は、2週間くらいかけて北海道を一周する予定。
自転車に取り付けたサイクルバックには、
パンク修理道具とレインウエアとそして財布。
父も同じ。
荷物なしでサイクルツーリング。
自転車でトレーニングをしながら
観光もできてしまうのだから、凄い贅沢。
わくわくする。
※ここで書いている荷物なしサイクルツーリズム北海道は、架空事業です。
7月25日水曜日は、晴天。
朝7時に母に見送られて家を出た。
父も長年自転車に親しんでいる。
僕との走りは、ギャップなし。
それどころか登りで千切られる場面も。
「僕は、クロスカントリースキーの素があるからな、
ルーと良い勝負ができると思うぞ。」
旅行前にそう宣言していた、少々疑っていたが本当にその通りだった。
千切れた時に、父の走りを観察してみた。
シッティングで軽くペダリングしている。
速いピッチに狂いがない。
サドルの前に座っている。
手は、ブラケットを握り上体を前に移動させている。
登りのコツを聞いてみた。
ロングになるほど力まない走りが必要。
腕で引くこともしない。
そのためには、回しやすい軽いペダリングつまりは高いケイデンスをキープすること。
上体をより前輪側に移動させて走ること。
ダッシュ以外は、スタンディングしない事。
「この三つだな。」
自分のペースをキープさせないと後の脚が無くなる。
その時は、前に追いついても後で止まってしまう。
登りで無理をするのは、最後の最後だけ。
そうだな、万字峠の走りは、僕にとってオーバーワークだったということになる。
自分のペースを知らなかったせいだ。
改めて認識。
その後も、お互いに先になり後になり曳き合う。
そして登りを助言通りに変えてみた。
随分軽くなる。
西からの風でその日は、終日追い風。
数度の休憩を入れ3時30分には、様似に着いてしまった。
サイクルコンピュータは、平均時速29km台。
宅配業者に行ってみた。
まだ荷物は、到着していない。
4時以降なら届くだろうという。
この日は、ホテル泊り。
そのホテルは、町の中心から約5kmほど海側を進んで山側に1km入った場所。
ホテルには、荷物を受け取ってから行きたい。
僅かな時間を待てばいいだけなので近くで
お焼きを購入して漁港に出て海を眺めながら食べて過ごす。
「ここの餡子美味いね。」
「特に餡は、疲れた時沁みるよな。」
小型の漁船が船舶していた。
この辺りでは、ウニやツブ漁が有名なのだという。
「特にツブは、大ぶりの真ツブで刺身が最高だぞ。」と父が涎を流しそうだった。
ホテルの食事にも地元の刺身を注文しているから楽しみだとも言っていた。
4時を過ぎたので荷物を受け取りに行く。
「今、届きました。」
受け取って背中に背負いアポイ山荘に向かう。
途端に背中の荷物が煩わしい。
僅か6kmのこと。
ここは、のんびり走る。
客室7室のこじんまりしたホテル。
「まだ新しい感じがするね。」
「比較的に新しいのだろう。食事の前に風呂行こう。」
二股ラジウム温泉湯の華を入れた大浴場がある。
疲れた筋肉を癒やしてくれる。
眼前に太平洋が望める。
7時少し前に日没になる。
この場所は、日が直接海に没しないのは残念。
食事の時に西の山に陽が沈んでいった。
父のいう通りツブをメインに海鮮が幾種類も揃っていた。
「お疲れ様~!!」
父は、喉を鳴らしながらビールを流し込む。
おいしそうだ。
僕は、ご飯を山盛りに料理を堪能。
部屋に戻って軽くストレッチをしながら見るとはなしのTV.。
バラエティ番組が流れていた。
10時に就寝。
満足の一日が過ぎた。
翌朝目覚めは、5時。
既に日が昇っていた。
が、霧が出て空が見えない。
ベッドの中で暫しの眠気を楽しむ。
父が、洗顔を済ませ「ルー、お前も支度を始めろ」と促される。
「ああ、おはようございます。」
やおら起きて洗顔を済ませ着替えをした。
朝食にはまだ少し時間がある。
「ホテルの周りでも散策してくるか?」
「そうだね。」
キャンプ場が隣接していた。
アポイ岳への入り口にもなっている。
案内には、海を後ろに見渡しながら山の峰を渡る。
可憐な高山植物が咲き乱れ重装備しなくても歩くことができるので
女性に人気なのだという。
「ミーマーと来てみたいなぁ。」父がぽつり言葉を紡ぐ。
「いいかも。」
15に続く
母におばさんに元気がなかったと話をする。
一度検査入院して手遅れと診断され自宅療養していたのだという。
おばさんは、まもなく再入院して一月後に急死。
すい臓癌だったという。
これ以来僕は、その目に蓋をした。
7月24日夏休みが始まった。
火曜日のこと。
次の日の25日朝から父と知床へ向けて旅立つ。
荷物は、小さなサイクルバックのみで自転車に取り付け。
大きな荷物は、近くの宅配便に前日預けた。
25日の到着は、様似町で180kmの沿岸コース。
北海道全域を「荷物を持たずに自転車旅行」が最終目的。
最初に北海道の外周を荷物なしサイクルツーリズムをスタートさせた。
朝7時受け付け開始で9時までにJR駅や宅配業者に荷物を預ければ
200km以内なら午後5時までに目的地の駅や宅配業者の営業所に届いている。
各駅や宅配業者に用意した専用BOX1個で1回600円の料金。
BOXに入れられれば何個入れてもいい。
僕の荷物は、大きなリュックとテント。
父は、20Lリュック1個。
そのBOXには、ホイールを外して自転車も入れられる。
雨などで走りたくないときなど旅行を続けたいときに便利だ。
その場合は、油汚れが付かないように大きなビニール袋も用意されている。
何度でも繰り返し使用出来る丈夫な袋。
JRのある区間なら自転車をそのまま車両に乗せられるようにもなっている。
客席車両の隅に荷物スペースを作ってある。
父は、4泊5日する。
知床からの帰りは、都市間バスで輪行する予定。
僕は、2週間くらいかけて北海道を一周する予定。
自転車に取り付けたサイクルバックには、
パンク修理道具とレインウエアとそして財布。
父も同じ。
荷物なしでサイクルツーリング。
自転車でトレーニングをしながら
観光もできてしまうのだから、凄い贅沢。
わくわくする。
※ここで書いている荷物なしサイクルツーリズム北海道は、架空事業です。
7月25日水曜日は、晴天。
朝7時に母に見送られて家を出た。
父も長年自転車に親しんでいる。
僕との走りは、ギャップなし。
それどころか登りで千切られる場面も。
「僕は、クロスカントリースキーの素があるからな、
ルーと良い勝負ができると思うぞ。」
旅行前にそう宣言していた、少々疑っていたが本当にその通りだった。
千切れた時に、父の走りを観察してみた。
シッティングで軽くペダリングしている。
速いピッチに狂いがない。
サドルの前に座っている。
手は、ブラケットを握り上体を前に移動させている。
登りのコツを聞いてみた。
ロングになるほど力まない走りが必要。
腕で引くこともしない。
そのためには、回しやすい軽いペダリングつまりは高いケイデンスをキープすること。
上体をより前輪側に移動させて走ること。
ダッシュ以外は、スタンディングしない事。
「この三つだな。」
自分のペースをキープさせないと後の脚が無くなる。
その時は、前に追いついても後で止まってしまう。
登りで無理をするのは、最後の最後だけ。
そうだな、万字峠の走りは、僕にとってオーバーワークだったということになる。
自分のペースを知らなかったせいだ。
改めて認識。
その後も、お互いに先になり後になり曳き合う。
そして登りを助言通りに変えてみた。
随分軽くなる。
西からの風でその日は、終日追い風。
数度の休憩を入れ3時30分には、様似に着いてしまった。
サイクルコンピュータは、平均時速29km台。
宅配業者に行ってみた。
まだ荷物は、到着していない。
4時以降なら届くだろうという。
この日は、ホテル泊り。
そのホテルは、町の中心から約5kmほど海側を進んで山側に1km入った場所。
ホテルには、荷物を受け取ってから行きたい。
僅かな時間を待てばいいだけなので近くで
お焼きを購入して漁港に出て海を眺めながら食べて過ごす。
「ここの餡子美味いね。」
「特に餡は、疲れた時沁みるよな。」
小型の漁船が船舶していた。
この辺りでは、ウニやツブ漁が有名なのだという。
「特にツブは、大ぶりの真ツブで刺身が最高だぞ。」と父が涎を流しそうだった。
ホテルの食事にも地元の刺身を注文しているから楽しみだとも言っていた。
4時を過ぎたので荷物を受け取りに行く。
「今、届きました。」
受け取って背中に背負いアポイ山荘に向かう。
途端に背中の荷物が煩わしい。
僅か6kmのこと。
ここは、のんびり走る。
客室7室のこじんまりしたホテル。
「まだ新しい感じがするね。」
「比較的に新しいのだろう。食事の前に風呂行こう。」
二股ラジウム温泉湯の華を入れた大浴場がある。
疲れた筋肉を癒やしてくれる。
眼前に太平洋が望める。
7時少し前に日没になる。
この場所は、日が直接海に没しないのは残念。
食事の時に西の山に陽が沈んでいった。
父のいう通りツブをメインに海鮮が幾種類も揃っていた。
「お疲れ様~!!」
父は、喉を鳴らしながらビールを流し込む。
おいしそうだ。
僕は、ご飯を山盛りに料理を堪能。
部屋に戻って軽くストレッチをしながら見るとはなしのTV.。
バラエティ番組が流れていた。
10時に就寝。
満足の一日が過ぎた。
翌朝目覚めは、5時。
既に日が昇っていた。
が、霧が出て空が見えない。
ベッドの中で暫しの眠気を楽しむ。
父が、洗顔を済ませ「ルー、お前も支度を始めろ」と促される。
「ああ、おはようございます。」
やおら起きて洗顔を済ませ着替えをした。
朝食にはまだ少し時間がある。
「ホテルの周りでも散策してくるか?」
「そうだね。」
キャンプ場が隣接していた。
アポイ岳への入り口にもなっている。
案内には、海を後ろに見渡しながら山の峰を渡る。
可憐な高山植物が咲き乱れ重装備しなくても歩くことができるので
女性に人気なのだという。
「ミーマーと来てみたいなぁ。」父がぽつり言葉を紡ぐ。
「いいかも。」
15に続く