2019年4月2日火曜日

小説 Lugh ルー 6

三人は、朝の峠越えを毎日こなしながら
それぞれのトレーニングを重ねている。
戸田さんは、部長先生に「君は福士さんを越えられる。」
と激励されているという。

福士加代子
女子陸上中距離のエース。
フルマラソンにも挑戦し2012年開催の
ロンドンオリンピック日本代表に選出されている。

彼女は、高校まで青森県北津軽郡で育った。
中学、高校と陸上の3000mを走っている。
この年代では、長距離に区分けされている。
高校までは、全国大会のファイナリストになれても
表彰台にあがることが出来なかった。
高校卒業後ワコールに入社。
その陸上部で頭角を現す。
20歳の2002年7月に8分44秒40の日本記録を樹立。
これは、現在も破られていない。
世界記録は、1993年中国のオウ 軍霞グンカが持つ8分06秒11。

18歳未満のユース世代の日本記録は、
2005年、須磨学園高等学校:兵庫県の小林祐梨子が8分52秒33。
中学女子の日本記録は、1993年9分10秒18で、
中学記録10傑でも8分台は、記録されていない。

部長先生は、戸田さんに9分切りを課したという。
それだけ戸田さんの素質が高いということか。
中学日本一を狙っているということだ。
家でそんなことを話す。
大学で陸上短距離選手だった母は、
小さい方が小さいエンジンで間に合うからねぇ。」

「3000mを9分で走るとしてそれを時速に直すと?」
父が質問してきた。
携帯の電卓機能で算出してみる。
「ええと1分間に333.333m。
これに60分をかけると19.999.99999m。
約20Km/hになる。」
「速いねぇ。それでは、100mを何秒で走ることになるの?」
「ええと、3000mを9分なので1000mは、3分。
100mだと1/10で0.3分。
0.3分は、60秒をかけると18秒になる。」
「そう、短距離選手なら軽るく流す感じだけれど
それを9分間持続するとなると相当な運動量よ。
直立二足歩行で手を自由に使うことができるようになった代償ね。
結果として速く走れなくなったの。
人間て二本足で立つようになった時に早く走ることを捨てたのよ。







「4本足の方が絶対に速いもんな。」
「でもね、肉食動物から逃げられない。そこで武器を使うようになる。」

大学で人類史をやってきたという母が続ける。
「武器は自身を守るためそして、狩猟のためでもあったのね。
でも大型の動物を一発で仕留められるだけの殺傷力は、なかった。」
「投石や石斧で致命傷は、無理。」
「怪我はさせられるよね。」
「逃げるでしょ。」
「追う、長く走れるようにモデルチェンジさせてきたわけ。
再び襲う、ダメージの繰り返しで仕留めようとした。
その一つが、汗。」
「なんで?、汗が出るとなんで長く走れる?」
「汗は、何のために出てくる?」
「体温調整だよね。」
「そういうこと、長時間運動しても体が沸騰しないで済む。
とりわけ脳みそね。」
「脳みそは、熱に弱いね。」
「ほとんどの動物は、汗を出せない。
速く走れても長時間になると体温を下げなければならなくなる。
休む、そこをまた攻撃する。」
「その繰り返しで大型動物を猟った。」


父が後を引き取った。
「そんな歴史から人間は、長距離が得意になっていったんだ。」
「速筋より遅筋。」

母、「遅筋は、鍛えても太く成りずらいのね。」
「だから長距離選手の脚は、すらっとしているってこと?」
父、「そういうことだな。」

「赤い筋肉と白い筋肉って言うでしょう。
どっちがどっち?」
「どっちって?」
「マグロってすごい速く泳ぐでしょ、
真ん丸に太っているし、あの身は赤い。
ということは、速筋が赤。
「残念でした。
筋肉を燃やすために大量の酸素が必要じぁない。
そのためにミオグロビンが必要になるの。
身が赤いのは、ミオグロビンのせい。

「筋肉が燃焼するんじぁないよね、グリコーゲンとか脂肪が燃えるんだよね。」

父、「長時間運動を持続させるために
酸素を有効に使えるようになっている。
「ヘモグロビンじぁないの?」
母、「ヘモグロビンの大きな働きは、酸素を運ぶことで血液中にある。
ミオグロピンは、筋肉の中にあって酸素の貯蔵が役目。
その色素が赤いというわけ。」
「あの赤は、血液ではないんだ。鯨肉も赤いね。」
「そうね、遅筋が発達したってことね。
クジラの場合は、潜水中に酸素を供給するためという面もある。」
「アザラシなんかもそう?」
「長時間潜ることのできる動物は、ほとんどそう。」
「遅筋だけど太いのは、海中生活しているからか」
「そうでしょうね。」

「鶏の胸肉が白いのは?」
父、「鴨の胸肉は、赤い。」
母、「ローストが美味い、赤ワインで食べたいね。
あれってレストランで食べる方がよりおいしさが増すわ。」
父、「うん、うん。また行きたいね。」
二人の目線が斜め上を見ている。
きっとデートした時のことを思い出しているのだろう。
「その時は、僕は留守番をしています。お二人でどうぞ。」
「まぁ!、ルー君とても素敵な提案ね。」
父は、締まりない表情をしていた。

「鶏は、飛ぶことをやめたから遅筋がいらなくなったということだね。
名前だけでも残そうということでチキンとした。」
母は、座布団1枚と褒めている。

僕は、話題を戻す。
力士の体は、筋肉の塊だというけどどっち?」
父、「あれが筋肉だということがなかなか信じられないけれど
瞬発力勝負の世界なのだから当然速筋なんだろうな。」

母、「脂肪も多いらしいわ、平均で30%以上だということよ。
でもあの運動を支えているのは、間違いなく筋肉で速筋が多いんでしょうね。」
父、「太ももや臀部だけでも凄まじい太さに育ってゆく。」

我が家は、よく運動に関する話題が昇る。
両親ともにアスリートだったからだろう。
スポーツプレイヤーは、素質だけで上級者になれるわけではない。
環境が大切だとよく両親が口にする。
僕は、アスリートの両親のDNAと家庭環境から自然にピッチャーになっていた。

両親は、結婚してから硬式テニスを楽しんでいたらしい。
そのボールが家にあった。
兄たちがまだ立ち歩きの出来ない僕に
そのボールを転がして遊んでくれていた、という。
僕の方へ転がしてくれる。
僕は、目で追う。
ハイハイでボールまで辿り着き転がして返す。
お座りしているところにも転がしてくれる。
手で押さえつけて返す。
そのうちバウンドさせて送ってくる。
そんなことをして遊んでくれたという。
僕が立てるようになると短い距離からキャッチボールをしてくれる。
放るときに右でも左でも同じように返球していた。
ならルーは、サウスポーにしようということで
兄たちが僕を左で投げさせた。

兄たちがいない昼間の僕は、室内で一人ボールを投げていた。
兄たちが、作ってくれたダンボールに円を描いだけの的を狙っていた。
祖父母の家では、当たると音がする的を壁に下げてくれていた。
外では、キックバイクに乗るか室内でボール遊びをしていた僕。
自然に足腰や体幹が鍛えられていた。
そしてボールをコントロールする能力が身についていた。

本来は右利き。
箸も右、打者でも右。
投げるときは、左に育っていた。


「そうか、持続力は必要がないから
酸素もいらない。それで速筋は、白ということだね。」
「蛸なんかが極端な例かしら。」
「全身が白身だもんね。」

「中学の陸上部の監督さんが本気で毬ちゃんを口説いたんだから
大きな素質があるってことね。楽しみじぁない。」
「素質プラスきちんとしたトレーニングが必要だね。」
「北海道大会で優勝したら光榮高校への推薦を
もらう約束を取り付けている。」
「それぞれの個性を武器にするのはフェアなこと。」
「あの娘ならやるかもね。」
「でもなぜ光榮なの?
陸上ならもっと実績のある高校があるわよ。」
「野球が好きで中学でマネージャーをしていたでしょ。
光榮でもそうしたいんだって。」
「あら、それじぁ陸上は続けない?」
「本人は、そういってる。」
「陸上の推薦で入学して陸上をしなければ問題が起きない?
本当は、ルー君のファン?」
「う~ん、らしい。」
「お~や、うらやましき限りだね。」
「そういえばクロスカントリースキー部は、女の子のファンがいなかった。」
「全然いなかった。
大会で黄色い声は、かからない。あっても身内の皺枯れ声。」
「忙しい中お義母さんが応援に来ていたでしょ。皺枯れ声は、失礼だわ。」
「前言撤回しま~す。」

「肝心のルー君は、関心がないみたいね。」
「かわいいな、とは思うんだけどそこまで。」
「そうか、今は、野球に情熱燃焼か。」
周りでは、AKBの一番は、誰それだなどと話題する。
僕は、ふぅ~んと上の空の生返事しかできない。
きゃりーぱみゅぱみゅは、かわいいとは思う。
それ以上の熱は、出てこない。
戸田さんもそんなところかな。


野球部は、対外試合が組まれてきた。
札幌には、強豪校が集中している。
遠征時間が短く済むのはありがたい。

3年生の峯岸先輩が先発。
5回までが最低ノルマ。
その後に2年生嵯峨先輩。
8回までの3回が受け持ち。
場合によっては、逆もあり。
先輩二人は、ワンポイントでリリーフ起用させることも考えて
ライトも兼ねる。
1年生の僕は、クルーザーという位置づけ。

峯岸先輩は、右アンダースロー投手。
光榮1年夏に肘を故障。
それが元でオーバースローからアンダーに転向した。
関節や筋肉が柔らかくアンダーに向いてもいる。
2年生の秋季辺りからその実力が備わってきたらしい。
どの球種も球筋が掴みづらい。

同じ右対右ならアンダースローは、胸元の真っすぐが武器になる。
反面そこを粘られると四球が多くなる。
アンダースローに慣れていないことから
内角に食い込んでくる球に当たってしまうことも多い。
粘りと度胸が求められる。
粘り強く冷静な精神力を持つ。
反面リリースポイントから遠くなる左バッターに弱いともいわれる。
右投げ左打ちの選手が多くなっている。
峯岸先輩は、左打者対策も重要な要素。

2年生嵯峨先輩は、右オーバースロー。
ストレート最高速は、140km後半と特筆される速球派というわけではない。
が、コントロールがいい。
シュートとスライダーを投げて横を広く使うピッチング。
打たしてアウトを獲るタイプ。
守備のリズムが生まれて攻撃が活性化する。

そして試合の締めくくりに飛び切り延びの良い真っすぐで
三振を獲れる僕がいる。
監督は、三人のピッチャーに手ごたえを感じている様子。
問題は、攻撃。
4番のスラッガー3年生駒沢先輩がいる。
主軸の前に粘ってなんとか塁に出る。
4番が倒れると後が続かない。
4番がダメでも次にどう圧力をかけられるかが課題。

横沢監督は、1軍経験もあるプロ野球選手だった。
大卒でプロになる。
ルーキーの時に怪我で膝の故障をする。
手術しリハビリの甲斐なく現役復帰できなかった。
その後その球団で現場の補助的な仕事を担っていた。
教員免許を取得していたことから高校野球監督の声がかかり光榮高校に赴任。
その時には、プロアマ協定高校野球監督資格で
2年以上の教員経験が必要だった。
2年後の2008年前任の監督の高齢化引退を受けて監督に就任した。

横沢監督のもっとうは、育成。
特に体の出来ていない年齢の高校生に
過度なトレーニングでプレイ続行不可の致命的な故障をさせない。
素質を無駄にさせたくない。
プロを頂点に各方面で
活躍できる選手に育てるのが役目だと言明している。
学校側も勝つこと優先で強者だけを生き残りさせることをやめた。
少子化の時代にスポーツの得意な子を多く獲得して
それぞれを着実に育てていくことを経営的な柱にした。

しかし、勝ちを捨てているわけではない。
監督は、人一倍勝ちを意識している。
現有の選手で勝ち抜くには、どうしたらいいのかを常に模索しているようだ。

バッティング練習で試合同様の投球をさせる。
その成績を一球ごとに記録させてそれをコンピューターで集計している。
ある程度の量が貯まると投球の傾向や長所欠点が見えてくる。
バッターも同じで苦手なピッチャーや球があぶり出される。
勿論長所もはっきり示される。
そうしたデータを元にチーム編成をしている。

紅白試合や対外試合で普段と違う精神面を見せる選手もいる。
本番に強い選手、もろい選手。
データの中には、それぞれの選手の精神的な特徴も記されている。

僕の場合は、強い集中力と評価されている。
が、向こう見ずとも書かれている。

局面では、氷の思考と炎の情熱で臨めと教えられている。

7に続く

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