2019年1月25日金曜日

小説 Lugh ルー 1.

空が青い。
そして高い。
どこまでも青く、どこまでも高い空。
200台のロードバイクが連なる。
タイヤの滑走音。
チェーンの回転音。
ラチェットの音。
音は、塊となる。
車列は、音を残しうねり、流れて行く。
その先に雪を頂いたアルプスの山々が見える。

国旗の手旗を振る人。
チームカラーを纏い全力で並走する人。
キャンピングカーの上に自転車のオブジェを作り走りをまねる人。
沿道の観客は、思い思いに贔屓の選手やチームに声援を送る。










僕は、その中にいる。
ロードバイクの集団の中にいる。
世界最高峰のロードバイクレース、
ツールド・フランスの舞台にいる。






僕は、小学生ジュニアから高校生までピッチャーとして順調に野球生活を送っていた。
中学では、全国優勝手前まで駒を進める。
その実績からU-15日本代表選手としてワールドカップにも出場した。

道外の複数有名高校から推薦打診を受けた。
出身地で甲子園を目指したかった僕は、地元札幌の高校を選んだ。
入学の時、僕の身長は、188cm。
体重78kg。

小さい時から背が高く体のバネがあった。
ストレートが武器。
というよりストレートしか投げない。
しなるフォームで投げ下ろす。
これに緩急をつける。
同年代で僕の球をヒットすることの
できる選手は、ほとんどいない。
 肘や肩に負担のかかる変化球は、いらない。
「骨や筋肉が出来上がるまでは、ストレートだけにしておきなさい。」
父にもそう言われてトレーニングしてきた。

高校新入生のあいさつ。
「白石 亨蕗:とおるです、よろしくお願いします。」
帽子を脱ぎながら一礼をした。

少し空気がさざめいた。
本当にあいつが来たんだ、という驚き。

全国的にも強豪として名が知られている私立札幌光禜高校。
野球部は、まだ高校が中学校だった時代から100年を超す歴史がある。
夏の甲子園と呼ばれる大会、
全国高校野球選手権大会出場回数は、全国でも屈指ながらいまだ優勝がない。
最高順位は、ベスト4。
決勝戦にすら一度も進めていない。

U-15でNO.1ピッチヤーと呼ばれた白石が入部してきた。
長身のトオルは、中学生の中だと大人と子供くらいの差があった。
クラスが1段上がった高校生でもやはり群を抜いていた。
立っている姿に下半身の強さを見て取れる。
しなやかさと体幹の強さ。
前からは、細身に見える。
横から見ると臀部盛り上がっている。
そして腰が高い。

他を圧する何かを持つ。
目が人を射ているわけではない。
殺気を発散させているわけではない。
足幅を少し広げて手を腰下で組んでいる。
佇む姿は、とても穏やか。
その存在は、大きさと強さを感じさせる。

端的な表現は、オーラ。
彼の内面から湧き出る輝きが見る者に衝撃を与えている。
白石の実績のみならず彼の持つエネルギーが光榮高校野球部にも伝播したのだ。
驚きは、部員たちの素直な反応だった。
優勝を狙える。

2012年4月6日金曜日、新学期が始まった。
光禜高校の部員数は、3年生34人。
2年生43人。
新入部員が78人。
総数155人となった。

「今日は、新入生も含めて全員の体力測定をする。」
監督が号令をかける。
「まず50m走から。」
「その前に各自準備をすること。」
「後は、マネージャーの指示にしたがい順次こなしてゆくこと。」
「10分間に始めま~す。」
グラウンドには既に50mの直線コースが出来ている。


軽いジョグとストレッチで身体を温めた。
最初の組二人が呼ばれる。
最初に呼ばれたのは、さかき 隆士たかし
上背は、小さい。
同じ1年生。
僕の肩くらいまでしかない。
丸い体と顔。
少し失礼だと思ったがゴリラに見えた。

次に僕が呼ばれた。
既に提出している自己申告の資料から50m走の早い順で組にしたのだろうか。

「ヨーイ、スタート。」
榊が素早いスタートで僕を置き去る。
小さな体が、弾丸のように疾走し始めた。
速い。
僕は、スタートが苦手。

体の大きさは、スタートに明らかに遅れが出る。
スピードに乗れば僕は、無敵。
ゴール手前で榊に迫る。
が、躱かわすことはできなかった。
「榊、5秒6」
「白石、5秒9」

「おお~!」
タイムを聞いてギャラリーから驚きの声が上がる。

50m、6秒だって速いと言われる。
二人とも6秒を切っている。
超高校級の速さ。

榊が握手を求めてきた。
「俺のことゴリって呼んで」
トオルは、吹き出しそうになる。
必死に堪えて応じる。
「僕は、ルーと呼ばれている。」

「陸上短距離選手にスカウトされたこともあるけど
163cmのチビでは、大成できないべ。
野球選手ならまだ鍛えようでプロまで行けるかもしれないし。」

北海道には、小さな大打者と呼ばれた若松 勉がいた。
身長は、168cmとプロ選手としては小さい。
小さくてもヤクルトスワローズで活躍して終身打率3割1分9厘とプロ歴代2位。
首位打者を2回獲っている。
榊は、その若松になると言い切った。



高校野球では、新入生がグラウンドの整備や用具の用意をする。
監督は、
「白石は、レギュラー選手として扱ってくれ。」
とみんなに伝達した。
特待生で誘われたときにそう言われている。
煩わしい仕事はせずにトレーニンブに励んで欲しい。
と言われた。

その時は、うれしいと思った。
でも僕は、みんなの手伝いをしようと決めていた。
それを宣言された部員に少し不満な空気が流れた気がした。
やっぱり新入生とともに下働きもしようと思った。

夏の甲子園大会の地方予選は、6月半ばから始まる。
それまでに新入生を含めて先発や控え選手の選別が行われる。

先輩たちを見ると体が出来ている。
臀部が大きい。
胸も厚い。
首も太い。
全国の高校生の中で輝くことができるのだろうか。
僕は、少し不安を覚える。

初日は、それぞれの身体能力を測定した後持久走でお終い。
グラウンド10周の持久走も部員全てが参加。
火急性は、後位からスタート。
ゴリは、徐々に順位を上げて上位でフィニッシュ。
僕は、上位から少し落ちた位置でゴール。
明日から本格的なトレーニングに入るという。

野球部は、全寮制と決められる学校が多い。
光榮高校は、通いも許している。
僕の自宅は、札幌市の清田区。
許可をもらって自転車通学をすることにしている。

コーンをかたずけ始める。
榊が、寄ってきた。
「ルーは、清田だべ。」
「ああ、そうだよ」
「俺は、手前の福住。
親は、佐呂間なんだけどおじいちゃんの家で下宿なのさ。」
全日本少年軟式野球選手権の北海道大会パンフレットで
僕の中学校名を見たことがあると言った。

「地下鉄?」
「いや、自転車」
「なら、一緒に帰るべ。」
「帰り道は、中の島から羊ヶ丘通りで帰宅する。」
「朝は?」
「朝は、滝野峠を登ってくる。」
「おおっ、知ってる。モアイ像の並んでるとこだべ。」
「帰りは、8km位しかないけれど朝は、30kmはある。
しかも峠だからキツイよ。
それでもいいなら一緒しよう。」
「全然平気だね、俺、田舎いえでも自転車通学してたし。」

自転車置き場へ歩いた。
僕は、頑丈なロックを解除した。

「ええ~!!ロードなの。」
いままで乗ってたのは全部兄のお下がりだけど、
 小さいころから乗っている。
「ママチャリでついて行けるかなぁ。」
多分無理。
悪いけど自転車もトレーニングの一つと思っているから手を抜かない。」

「いいよ、その時は置いていって」
「ゴリに付いてくる力があったら僕が引いてあげるよ。」

「ひくってなによ?」
「後ろに位置取って風の抵抗を減らして引っ張ってもらうことかな。」
「俺、全力でまわすわ。」

街の中は、信号待ちばかり。
ダッシュ&ストップのインターバルトレーニングが出来る。
全力疾走して足へ負担をかけてゆく。
僕は、様子見に抑えて走り始めた。
ゴリを前に出す。
スピードに乗るための時間は、さほど必要ない。
ギヤを上げてゴリを追う。

ママチャリであっても乗る人が違うと速さは違ってくる。
ゴリの走りは50m走同様に疾風した。
しかし、ロードバイクのポテンシャルは大きい。
30mくらいで追いつき後ろの安全を確認してから追い抜く。
次の赤信号で停車。

「いいよゴリ」
ゴリは、呼吸が荒い。
うん、うんとうなずくだけ。
全力のペダリングは相当な運動量。
僕たちは、背中に大きなリュックも背負っている。

ゴリは、手振りで少し待てと言う。
呼吸を落ち着けて
「超ヤバ、ダメ、キツ~、ムズ~。
今の走りは、続けられない。」
「ルーの後ろに付くことにする。」

「それがいいかもね」

青信号で再スタート。
僕は、ピンディングシューズのせいもありスタートは、ゴリに余裕あり。
ピンデイングをはめ込むと一気にダッシュをかける。
ゴリに遅れが出てくる。
信号を二つか三つ通過してストップする。
僕が止まってから数秒後にゴリが追いつく。
信号が変わりそうなときは、速度を落としてゴリを待った。

何度か繰り返すと札幌ドームが見えてきた。
ゴリが
「俺はここから分かれる。」
「朝は、何時に家を出るの?」
「朝練が6時30分からだろう。」
「90分あれば余裕じぁないか。」
「そうするとルーは、5時に自宅を出るんだね。」
「そうだね。」
「僕は、少し早めに出て滝野峠を登っているよ。」
「分かった、したっけね。」

帰宅すると母が、僕の顔を覗く。
「おかえりなさい、どうだったの?」
「なにが?」
「野球部、どんな感じ?」
「普通」

一つ気になることがあった。
新入部員の挨拶の時に、僕を射刺す視線を感じた。
一瞬だけだったので僕の勘違いだったかもしれない。
そのことは、言わずに置いた。

「友達が出来た。」
「どんな子?」
「榊って言う奴。」
「背は、大きくないけど足の速い奴でゴリと呼んでくれって。」
「似てるの?」
「うん、悪いけどそっくり。」
「かわいいっしょ。」
「福住のおじいちゃん家に下宿してるって」
「へぇ、どこの子?」
「佐呂間だって、通学も一緒に走る」
「そう、良かったね」
「今日は、授業がなかったから部活も早めで終了して
早く帰宅できたけど平日は、7時半くらいになるかな。」
「了解、食卓におやつが置いてあるからね。」

洗濯をしてもらうアンダーシャツや靴下を洗濯物入れに投げ込む。
今日は、ユニフォームが汚れていないので入れずに置いた。
明日からは、ユニフォームも洗濯しなければいけなくなるだろう。
ユニフォームは、二組持っている。
洗濯してもらって朝までに乾かなくても替えがある。

おやつは、ワッフルだった。
冷蔵庫から牛乳を取り出し一緒に飲み、食べた。

シャドーピッチングをする。
今日は、投げ込みを一球もしていない。
試合があった日でもシャドーだけは必ずすることに決めている。

僕は、サウスポー。
サウスは、southで南。
ポウは、pawで前足。
グラウンドを造るときにピッチャーの左側が南になるように
位置を決めたことから左投げをサウスポーと呼ぶようになったと聞いたことがある。

直球の握りでタオルを指に挟み持つ。
上体を少しそらせながらゆっくり腕を振り被る。
振り被りながら右ももを上げて左軸足に体重を乗せる。
片足立ちで一瞬の静止。
頭の上に振りかぶっていた両手は、胸に移動。
グローブを持つ手をキャッチャーの方向に張り出す。
そこから体重を前に移動し始める。
斜め後方に落とした左肩を
膝、腰、肩、肘を起点に回転をかけて左腕を投げ下ろす。

リリースの瞬間に最高のスピードをタオルに乗せる。

タオルが空気を割く。
いい音だ。
夜のシャドーは、30球と決めている。
一球を投げるごとに踏み出す脚の幅や肘の高さ、
リリースの位置などひとつづつチェックする。


光禜高校を選んだのは、地元だったということともう一つの理由がある。
大切に育てる。
ピッチャーは、肩やひじの故障で将来を台無しにしてしまうことがある。
高校生は、まだ骨や筋肉が出来切れていない時期。
そこで無理をさせない。
選手の将来を考えた育成方法。
ピッチャーなら1年生で1日60球までの投球。
2年生で70~80球。
3年生で100球という目安を設けている。

将来は、プロ選手になりたいと思う。
そのためにも故障をしたくない。

故障しないためのストレッチ体操も一日の終わりに必ず行う。
開脚しながらノートをつけたり。
腕の裏を伸ばしながら教科書を読み上げたり。
体のどこかに異常がないかをひとつづつ確認しながら
最低30分は、筋肉に休息を告げてゆく。
体を動かしながらの学習は、強く記憶出来ると聞いたことがある。
そのせいか成績は、悪くない。
それが終わった8時半頃に「ご飯よ~」と呼ばれた。
一階に降りる。
父が帰っていた。
ゆっくりと浸かっているのが習慣の父がお風呂から上がってきた。

「お帰り。」
父に挨拶する。
「おう。」
父は、にっこりと顔を向けた。
細かなことは、聞かれたことがない。
でも僕たちの表情は、いつも見ていてくれている。
表情が暗い時には、肩をポンポンと叩いてくれる。

兄が二人いる。
長男は、茨城県の筑波大学で4年生。
次男も、筑波大の新入生。
筑波大には、4000名収容の学生宿舎がある。
が1年生に優先入居させるので上級生になると退室させられることが多い。
長男は、弟の入学を機会に大学近くのアパートに入った。
二人はそこをシェアリングしている。

父は、白石 穣ゆずる
46歳。
札幌市の職員。
学生時代は、クロスカントリースキーの選手で日本代表の強化選手だったこともある。

母は、美雪。
女性としては、背が高い。
174cmある。
父と同い年で同じ大学。
学生時代は、陸上短距離選手。
現在は、実家の配管資材会社の事務手伝いをしている。
週に一回市の体育館でバドミントンを楽しんでいる。
46歳でも体形は、20代と自慢している。

父の上背は、177cm。
一般の中だと少し大きなほうだが父方の親戚に180cm越えの人はいない。
僕の身長は、母の遺伝子の影響が大きいのだろうか。
身長の高さと一緒におおらかな性格も継いでいるようだ。
食事の後にお腹を落ち着けてそのあとにゆっくりとお風呂に入る。

風呂から上がったらノート付け、特別気が付いたことだけを書く。
あの鋭い視線が少し引っ掛かったけれど書かずに置く。
4月6日金曜日 新入生の挨拶と身体測定。
とだけ書き記す。

目覚ましは、4時半にセットした。

2に続く

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